渡部昇一先生のエピソード(31)~一番になる

◎「渡部昇一先生のエピソード」を全て読むことができます! 

 尊敬する故・渡部昇一先生のエピソードを書き溜めてきましたが、31回目となりました。まとめて読みたい、というご要望をいただきましたので、このブログの右下にある「カテゴリー」「渡部昇一先生のエピソード」という項目を作りました。ここをクリックしていただくと、今までの(1)~(30)を全てお読みいただくことができます。

 思い起こせば、学生時代に大ベストセラー『知的生活の方法』(講談社現代新書)を読んだのが最初の出会いでした。以来単行本だけでなく雑誌に寄稿された文章まで片っ端から読み漁りました。私が熱狂的ファンであることを知っておられた知り合いから、松江に講演に来られるから会わせてあげる、との有り難い申し出をいただき、「ホテル一畑」の控え室で初めてお会いすることができました。緊張する中、握手していただいたことは忘れることができません。以来事ある度にお教えをいただき、『ライトハウス英和辞典』(研究社)の推薦文まで書いていただきました。私の定年退職時には心温まるねぎらいのお言葉までいただきました。感謝あるのみです。

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 故・渡部昇一(わたなべしょういち)先生のご実家(山形県)は、ごくごく小さい田舎町の小間物や化粧品を扱うお店でした。母親が自分の工夫で造った婦人用の鬢付け油を、付近の農村や漁村の間で一定の販路を持っていたので、お店は「あぶらや」と呼ばれていました。農家の長男で家を継がなかった父親は、経済観念に乏しい高等遊牧民的気質の人でした。敗戦から二年ぐらいした時、五十歳を超えてから、偶然の機会で父親が定職に就きます。生まれて初めて人並みの給料をもらうようになったのです。先生が高校卒業する前後の数年間だけ、渡部家の経済状態が急に少しだけ良くなりました。おかげで、大学受験をできることになったのです。上智大学に入学一年目は100パーセント親からの仕送りだけで生活し、夏からは奨学金をもらいました。日本育英会(月2,000円)の他に、鶴岡の風間家克念社育英会(年間30,000円)と旧藩主酒井家と酒田の本間家による荘内育英会(二ヶ月ごとに1,400円)でした。

 上智大学に進学した故・渡部昇一先生には、どうしても一番にならなければいけない事情がありました。大学一年生の夏休みで7月に帰省したら、父親が職を失っていたのです。84年の生涯の中で、まともな給料を受け取った期間は約二年半だけです。これは全くの偶然で、神様が渡部先生を大学に入れるために、父親に短期間の定職を与えてくれたとしか思えない、と回想しておられました。今後は親から授業料を送ってもらうメドが全く立たないのです。授業料はすでに一年分納めてありますが、来年の分の見通しは全く立ちません。目の前が真っ暗になりました。「知の扉」を開けてもらい、さあここからという時に、そこから退去してしまうことだけは絶対に嫌でした。そうすると、どう考えてみても可能な道は一つだけしか見えていませんでした。それは特待生になり、翌年の授業料を免除してもらうことです。その確実な道は、英文科で首席になることです。時には一学科から特待生が二人ぐらい出ることはあるのですが、それでは当てになりません。一番であれば大丈夫です。今のようにアルバイトの仕事が簡単に見つかる時代でもありませんでしたから、どうしても授業料免除の特待生にならなければなりませんでした。ところが一番になろうとすると、どうしても他の同級生の成績が気になるのです。自分より優れた人間に後れを取った場合、まず嫉妬心が先に立ち、相手の失敗を願うようなことになりかねません。他人の成績が気になるということは、考えてみると、いかにも卑小で自他共に恥ずかしいことのように思われたのです。このように、一番を目指すことは、渡部先生にとっては心理的に辛いものがありました。ここで先生は考えます。「そうしないで必ず一番になる道はないのか?」と。そこで、一番になろうとするのではなく、全部の科目で100点を取ることだけを目的とすればいいのではないか、という考えに思い当たります。これならライバルの失敗を期待するようなマイナスの姿勢を超越することができ、自らのペースで道を拓くことが可能です。他の人のことは考えずに、講義に全力集中して、全ての科目に100点を取ることを目指せば、卑しい思いから逃れることができるのでした。まずライバルのことは頭からはずす。100点を取れば、必ず特待生になることができます。そこで、断乎それを実行しようと決心されたのでした。当時の上智大学は授業は午前中にみっちり詰まっており、午後一時以降は授業はありませんでした。厳しい食料事情のために午後にアルバイトをしている学生がたくさんいました。しかし渡部先生はアルバイトは一切せずに、全部を勉強時間に充てておられました。

 それでまず、毎朝早く起きて5時45分に洗面所に行って水をかぶり、水で目を覚ましてから勉強をしました。全ての授業で最前列で教授のすぐ前の席を取ります。他の学生の存在を気にしないで講義に集中するためでです。先生の言うことは一言漏らさず聞いてノートを取りました。そしてその日の講義は寮に帰ったら何よりも丁寧に読み返し、分からないところがないかどうかをチェックし、もしあったら次の時間か、あるいは教授控え室に行って質問する。講義で教わることは何から何まで徹底的にマスターして、学期の終わるころにはその科目については教師と対等か、もしくはそれ以上の知識を身につけ、一科目残らず満点を取ることを目指す。そして試験になった時に、どのような問題でも正確に答えられるようにする。これを卒業するまで厳格に自分に課されたのです。おかげで一年生の通信簿では全科目100点かそれに近い点数を取ることができ、二年生からは特待生になることができました。事実、大学四年間の渡部先生の成績は、全教科の平均点が90点以上でした。二番の学生の平均点が80点台でしたから、全20科目を総合すると200点ほどの差ができていました。競争心を排除するために、ただひたすら講義に集中して100点を求めた結果がこれでした。我ながらよくやった」と回想しておられます。いつも100点を取ろうと頑張っていた先生は、傍目には「点取り虫」のように見えていたかもしれませんが、そのおかげで、嫉妬心や競争心にとらわれることなく、他の人の成績を気にかけることなく勉強に集中することができました。ライバルを嫉妬するよりは、良い刺激として受け止め、どこであろうと、今いるその場所で頑張る、それが人生に後悔しないためには非常に重要なことです。

 渡部先生上智大学に入学した時は、新制大学に切り替わる年で、スタートしたばかりで文部省の指示も理想主義的なところがありました。つまりは教養課程です。教養科目は新しい時代の大学教育の特徴といった感じでした。文科の学生でも、数学、物理学、生物学、化学などの自然科学の科目も必修単位だったのです。他の大学はかなり弾力的に運用していたようですが、上智大学では生真面目にそれを文科の学生に強制しました。まだ学校がまだ小さくて塾のような雰囲気でしたから、全て必修だったのです。渡部先生は来年も大学に特待生として残れるようにと、必死の覚悟で全て100点を取る決心で勉強しておられます。動機は授業料を免除してもらうという金銭的なものでしたが、高校までの生活では経験したことのない真剣さで、自然科学の授業にも没頭しました。おかげでその後は授業料を払うこと無く無事卒業することができましたが、それとは別の恩恵もあったのです。それは専門課程ではないにせよ、大学教養レベルの自然科学の諸科目の試験を受け、正確に理解しているという保証を得たために、その後の人生においても、自然科学関係の話題にも興味を持ち続けることができたのでした。渡部先生のご専門は英語学で、そこに安住すればそれで人生を送れたはずですが、諸学問に対する興味は年齢とともに広がっておられます。こういう訳で、渡部先生の生涯お書きになられた多くの著作は、専門の英語学だけでなく、幅広い分野に及ぶことになったのです。♥♥♥

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「のとじま水族館」の被害

▲能登島大橋

 私も訪れたことのある(和倉温泉「加賀屋」からタクシーを飛ばして往復しました)「のとじま水族館」(石川県七尾市能登島)が元日の「令和6年能登半島地震」で莫大な被害を受けました。地震発生当時、館内には1,000人近くの来館者がいて、全員が敷地内の高台に避難しました。「能登島大橋」が通行止めになったために、お客さんたちは足止めをくらい帰ることができず孤立されたと聞き、心配したものです。能登半島の湾、七尾湾に浮かぶ能登島にある「のとじま水族館」は、イルカやアシカのショー、一体型アクリル水槽による海中にいるような展示の「のと海遊回廊」などが人気の水族館です。日本海側の水族館で、ジンベエザメを飼育していた唯一の水族館でした。 今回、断水に加え、複数の水槽でろ過設備の停止や水漏れなどの被害が発生し、生育環境が大きく悪化しました。ジンベエザメ館の水槽は水位・水温が低下して、循環ポンプが水没し、ろ過設備が停止したために、1月9日には人気者だったオスのハチベエが、10日にはメスのハクが死亡しました。残された生物を、スタッフも被災したであろう大変な最中に手配を進め、4日にゴマフアザラシ2頭とコツメカワウソ2頭が「いしかわ動物園」に。6日にカマイルカ2頭とゴマフアザラシ1頭、14日にウミガメ8頭が福井県坂井市にある「越前松島水族館」へ移送されました。また、17日には「富山市ファミリーパーク」がフンボルトペンギン10羽を受け入れています。 動物の命を救うため、県内外の水族館や動物園の9施設が、可能な限りの動物たちをピンチから救うため迅速に尽力して、イルカやペンギンなど9種63匹の受け入れに協力し、のとじま水族館」の再開を待っています。「のとじま水族館」は、当面の間の休館を発表しており、最新情報に関しては公式サイトで発表予定となっています。クラウドファンディングも始まりました。一日も早い再開を祈りたいと思います。

 東京スカイツリーに併設する「すみだ水族館」(東京都墨田区)は、能登半島地震で被災した「のとじま水族館」より、7羽のマゼランペンギンを2月1日に受け入れています。避難中のペンギンたちは、当初は餌をやろうとしても、見知らぬ飼育員に警戒する様子を見せたといいます。3月初旬から館内の散歩を開始しました。初めは恐る恐る歩いていたペンギンたちも、飼育員の誘導でそろり一歩前へ踏み出すと、今では慣れた様子で自由に歩き回っています。様々なものに興味津々だとか。「すみだ水族館」では、「飼育員として、自分の手で世話できない悔しさがあると思う」とおもんばかりました。成長の様子は、現地の飼育員たちに安心してもらうために、動画や写真で情報共有を続けているといいます「能登の子供たちは、きっとペンギンたちに会えるのを楽しみに待っていると思う。避難先でも元気に過ごしているよと伝えたい。一日でも早く復興が進み、元気にのとじま水族館に戻せるように、大切にお世話していきたい」と話しました。

 4月25日は「世界ペンギンの日」でした。南極にあるアメリカ合衆国の観測基地「マクマード」アデリーペンギンが毎年4月25日前後に姿を見せることから、基地のペンギン研究者たちが制定した記念日です。ペンギンに対する理解を深め、保護活動や環境問題についても考えて欲しいという意味があります。

 ちなみに私は「水族館オタク」でして、全国各県に散らばっている水族館を制覇しようと企んでいます。♥♥♥

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松風庵かねすえ

◎週末はグルメ情報!!今週はわらび餅

 毎年ゴールデン連休時期になると、今は閉店した一畑百貨店「全国うまいもの博」を開催するのが恒例となっていました。中でも私が絶対に外せないのが、香川県「松風庵かねすえ」わらびでした。一畑百貨店の6階が催し場なんですが、毎回6階のエレベーターを降りたすぐのところの右側が「かねすえ」の定位置です。いつ行っても大行列ができているのですぐ分かります。「最後尾」の看板に並んで、行列嫌いの私でも30分待ってでも食べたい、そんな美味しい「わらび餅」です。2014年には「モンドセレクション銀賞」を受賞しています。和三盆と希少糖含有シロップを使った、讃岐自慢の一品です。本わらび粉のこしの強さとたっぷりのきな粉のハーモニーが絶妙ですね。別売の和三盆蜜をかけていただくと一層美味しさが引き立ちます。お店の詳しいレポートはコチラです。私はここの「わらび餅」が日本一だと思っています。

 「松風庵かねすえ」は、1965年(昭和40年)創業の、香川県高松市扇町に本店を構える和洋菓子屋さんです。地元香川の素材にこだわったお菓子を販売しています。程よい甘さときなこの香ばしさが絶妙なハーモニーを奏でる「さぬきわらび餅」は、香川の代名詞とも言える「さぬきうどん」に負けないくらいのコシと粘りがあり、お餅のような食感とのどごしが楽しめる美味しい「わらび餅」です。わらび餅 こちらがその「わらび餅」(写真右)。とにかくやわらかさがすごくて、いままで食べたことがないくらいです。こんなにたくさん入ってます(1500円)。冷蔵庫で4日持つので一人暮らしの方でも安心です。写真じゃあ、ぷるぷる感が伝わらないですかね。このままずっと持ってると落ちてちぎれるくらいやわらかいんです。別売りの黒蜜をかけていただきます。

IMG_8173 「わらび餅」は、見た目こそ華やかさはありませんが、これほど嫌いな人が少ないお菓子も珍しいでしょう。お店によっては、個性的な違いが少しずつあったりもします。なかでも、香川県高松市にある「松風庵かねすえ」「さぬきわらび餅」は、シンプルで素朴な王道の“わらび餅”です。高松と聞くと、有名な「讃岐うどん」のイメージが強いのですが、四国東部で伝統的な製法で作られる高級砂糖「和三盆」も名物です。ほんのり控えめな甘さは、讃岐特産の「和三IMG_8174盆」と希少糖が入ったシロップを使用しています。まろやかで口溶けの良い本場の「和三盆」が、「わらび餅」を上品に引き立ててくれます。こしの強い“本わらび粉”で作った餅にたっぷりと“きな粉”がまぶしてあります。口に入れると、喉元までスルッと入ってきます。この食感が、なんともたまりませんね。少し黒蜜をかけると、しっとり感が増してさらに美味しくなります。大きさも、ひと口サイズで小さいので、「パク、スルッ、パク、スルッ」と、次から次へとテンポ良く口に入っていきます。お茶をすすりながら、「わらび餅」を食べると、みんなが笑顔になります。家族の団らん時に、「和三盆」がたっぷり入った「さぬきわらび餅」をぜひ召し上がってみてはいかがでしょうか?さぬき和三盆糖のやさしい甘さと何とも言えないもっちり&つるんとした喉越し。これはクセになること間違いなしです!!

 連休中は2回ほど行列に並んで買いました。大阪帰りの「やくも号」松江駅に降りたのが18時50分。ダメ元で、19時閉店の一畑百貨店に直行してみると、誰も客がいません。お店の方と雑談しながら、楽々とゲット!案外この時間帯が狙い目だったかもしれませんね。一畑百貨店が閉店したので、もうこの楽しみも味わえなくなりました。

 今日はハウステンボスの帰りに、JR博多駅に立ち寄って阪急デパートで買い物をして、帰り道「いっぴん通り」を歩いていたら、なんと「かねすえ」の常設店があるではありませんか!これはビックリ!買って帰らなくてはいけません。店員さんと松江ではこのわらび餅を買うために30分~40分の行列ができるんだ、というお話をしたらずいぶん喜んでくださって、ここはいつでも開いていますからまた来てくださいね、と言葉を交わしてお別れしました。

▲JR博多駅の「かねすえ」

 さて今日から米子高島屋「ズムサタ全国うまいもの博」が始まりました。「かねすえ」が出店するというので、早速出かけてきました。4階特設会場です。予想通りすごい人が並んでいました。最後尾に並ぶこと25分、お目当ての「わらび餅」「黒蜜」(1,500円)を手に入れることができました。家で冷やしていただきます。いつ食べても美味しいや。日本一の「わらび餅」だと思っています。❤❤

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「ニデック京都タワー」

 京都の玄関口のランドマーク、JR京都駅の前󠄂にそびえ立つ「京都タワー」の名前が、4月1日から「ニデック京都タワー」に変わりました。「京都タワー」は、地上131メートルの京都市街で最も高い建物で、京都の街を照らす灯台をモチーフとした独特なフォルムと、立地の良さから、およそ60年前の1964年12月の開業以来、京都のランドマークとして長年親しまれてきました。建設時は、景観を守るためということで、京都人から批判も続出し、物議を醸した建造物ですが、今ではすっかり京都に馴染んでいますね。陣この「京都タワー」を運営する京阪ホテルズ&レゾーツは、京都市に本社を置く「ニデック」(昨年までは日本電産)とネーミングライツ契約を結んだと発表しました。京都を盛り上げようと、ゆかりのある両社が合意しました。

 この締結により、4月1日から、およそ60年にわたり続いた「京都タワー」の名は、「ニデック京都タワー」に変わりました。 ネーミングライツの契約金額について京阪グループは非公表としています。 契約金はタワー下部にあるビルの再整備費用にも充てられます。「ニデック」は、1973年創業の総合モーターメーカーとして知られ、創立から半世紀を迎えた去年「日本電産」から「ニデック」に社名を変更しました。 ニデックは、「京都発祥のグローバル企業なので、京都を代表する企業を目指していきたいと考えています。京都タワーは京都市で一番高い建物なので、ニデックが目指す姿に重なるものがありました。京都タワーのように皆様に親しまれる企業を目指していきます」とコメントしています。

 JR京都駅の目の前にそびえ立つ、古都・京都のシンボル的存在となっている大展望塔で、1964年12月に誕生しました。一切鉄骨を使用せず、厚さ12mm~22mmの特殊鋼板シリンダーを溶接でつなぎ合わせた円筒型の塔身でdsc00524す。「モノコック構造」と呼ぶのだそうで、世界に先駆けて採用され、台風や大地震にも強い安全設計なんだそうですよ。タワーの土台は、地下3階・地上9階のビルの屋上。約800トンもの重さがビルにかかりますが、この構造の工夫によって、建物の機能を損ねることはないんだそうです。高さは先端の避雷針を含めると131mあり、地上100mの高さにある最上階・展望室5階からは、ぐるり一周京都の街を一望することができます。いつもは白く輝く「京都タワー」ですが(照明50基)、テーマに合わせて年に数回、ピンクや赤・オレンジ・青・紫・緑などの色を変える日があります。展望室最上階には人気のマスコットキャラクター“たわわちゃん”をモチーフとした「たわわちゃん神社」があり、京都の新しいパワースポットとして注目されています。あのタワー独特の形状は、京都伝統の和ろうその形を模したものとか、海のない京都の街を照らす灯台をイメージしたもの、などと諸説があるようです。私は京都観光をすませて、夜の買い物(東急ハンズ・大丸)を終えてから、展望台に上がってみました。京都タワーホテル」に泊まっているので、割引券で300円で上がることができました。京都の美しい夜景が四方から見渡すことができて、ずいぶん癒されました。「東京スカイツリー」などに比べると低いタワーですが、建物の高さ規制のある京都市街では最も高い建造物ですから、京都の街並みをまるで地図のように見渡すことが可能なんです。

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dsc00495dsc00503dsc00520 「京都タワー」の地下3階には、広々とした造りの「大浴場~YUU~」(朝7時~夜8時半、料金750円)があります。私は今回の旅行では「京都タワーホテル」に泊まったので、無料で利用することができました。約130㎥の広さがある男湯は、浴室のほぼ中央にある大きな浴槽が印象的です。中心部分にある噴水からは、たっぷりのお湯が涌き出ています。かなり熱いお湯でした。心臓に悪いかな、と思いすぐに出ました。壁には大文字山京都タワーが影絵のように浮かび上がり、地階にいながら京都の風景に思いを馳せることができます

 翌朝は、ホテル3階の広いレストラン「タワーテラス」で朝食をいただいたんですが、新鮮な京野菜や京都の食材などをふんだんに使った料理を、ビュッフェスタイルで、洋食・和食・スイーツまで幅広く楽しむことができました。湯豆腐はやはり名物だけあって美味しかったですね。それからお味噌汁がたまらなくいいおだしでお代わりをしてしまいました。そして何よりも真正面に見える京都駅の建物のガラスに、「京都タワー」が写りこんでいる姿がとってもきれいでした。❤❤❤

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「米花商店街」

 アニメ映画「名探偵コナン 100万ドルの五稜星」が初日(4月12日)だけで興行収入9億6,000万円、観客動員63万人という驚異的なスタートを記録しました。原作漫画の連載開始から今年で30年。「名探偵コナン」の人気はすごいですね。愛読する月刊誌『ダ・ヴィンチ』(KADOKAWA)の5月号が「名探偵コナン」特集です。

 「米花商店街」(べいかしょうてんがい)は、鳥取県北栄町にある、年間で10万人ほどの観光客が訪れている「青山剛昌ふるさと館」の10周年記念に伴ってオープンしました。「食べる」、「買う」、「遊ぶ」のスポットが揃った商業施設です。場所は「青山剛昌ふるさと館」コナン駅」(JR由良駅)のちょうど中間地点くらいにあります。今まで中間地点に観光施設がなかったので、よりコナン観光が楽しめるようになりましたね。帰りのタクシーの運転手さんに伺った話によれば、近く「青山剛昌ふるさと館」がその規模を3倍に拡大してこちらに引っ越してくるんだそうです。3階建てになるそうですが(現在は2階建て)、広大な駐車場がありますから、スペースはいくらでも空いていますものね。

▲学校帰りの新一と蘭ちゃんのブロンズ像

 正面には、学校帰りで楽しく話しているかのような、新一の銅像があります。今にも会話が聞こえてきそうな感じです。写真スポットなので、好きなポーズをとって撮影しましょう。

 それでは、「米花商店街」の施設(喫茶ポアロ、コナン百貨店&コナンジェラート、コナンズキッチン、工藤邸)について紹介していきます。

◎喫茶ポアロ

 コナンの原作にも登場する「喫茶ポアロ」をモチーフにした喫茶店では、カレーやパスタ、トーストなどが注文できます。「名探偵コナンナポリタン」や「喫茶店ポアロのハムサンド」などのオリジナルメニューも人気です。喫茶に入るとコナン君がお出迎え。4人掛けのテーブルが10席ほどあります。日が差し込んで開放的な空間です。食券を買って注文するスタイルです。サイン入り原画なども飾られており、ちょっとしたギャラリーになっています。

◎コナン百貨店&コナンジェラート

 「コナン百貨店」には、「青山剛昌ふるさと館」のお土産屋「コナン探偵社」には置いていないここでしか手に入らないグッズが揃えてあります。若い女性向けのグッズが多い印象でした。約200種類の豊富な品揃いです。(男性のキャラのものが多い)メモ帳やハンドタオル、コップ、Tシャツなど、コナンに癒されたい方にとっては欠かせないものばかりですよ。定番の鳥取のお土産も販売してあるので、コナングッズと一緒に購入してみても良いですね。

 コナングッズと鳥取地元の食材を使った四季折々のジェラードが楽しめるお店、隣の「CONAN GELATO」では、地元の方が作られたフルーツ、野菜、牛乳などを使用したジェラードが販売されています。カップorコーンから選択でき、テイクアウトもできます。

◎KONAN’S Kitchen

 名探偵コナンをイメージした「コナンバーガー」や「アポトキシンホットドッグ」などのほか、ランチBOXもあります。パッケージも魅力的なオリジナルメニューを豊富に取り揃えています。

▲可愛いコナンくんもいます

◎コナンの家(工藤邸)

 原作に登場する工藤邸の「門扉」です。インターホンからキャラクターのセリフを聞けます(工藤邸の中は「喫茶ポアロ」)。早速押してみましょう。

「あ、新一、お客さんだよ」、「ふぁ〜、なんだよ、うっせーなー」、「はぁーい、新一にいちゃんいま留守にしてるよ」の3種類の音声がランダムに流れます。ここでしか聞けない超レアボイスです。

 コナンに会える町として人気の北栄町ですが、観光に大事な「食べる」、「買う」というカテゴリーが増えたことによって、集客増加に繋がっていくと思います。コナンが地域を盛り上げる活力になっていき、このような商業施設が全国的に広まり、より良い町づくりの実現に向かってくれたらいいなと思います。「見る」、「食べる」、「買う」の要素を兼ね備え、コナンの魅力が詰まった北栄町に行ってみましょう!!!♥♥♥

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退職して

 島根県立松江北高等学校で18年間教えてきましたが、2月に最後の授業を終えました。たくさんの素晴らしい教え子・卒業生たちに囲まれて、充実した日々を過ごすことができたように感じます。平成25年3月に、北高10年間で38年間の教職生活に別れを告げて退職しました。オファーされた一切のお仕事は全てお断りして、のんびりと過ごす道を選択しました。その時教えていた2年生の女子生徒Wさんから手紙をもらいました。

 先生に英語を教えていただけるのも、あとわずかとなってしまいました。本当は、もっともっと先生にいろいろなことを教えていただきたかったし、先生の面白いお話をたくさん聞きたかったです。あと1年、あと1年だけでもいいので先生に残っていただきたいと、同じRの子たちも言っています。本当に残念です…。しかし、先生にもいろんなお考えがありますし、外から見ているとおっしゃっていたので、あと1年頑張ろうと思います。今回は、日頃の感謝を込めて、バレンタインのチョコを贈らせていただきます。高校生ということもあり、あまり上等なものは買えなかったのですが、甘い物は疲れに良いといいますので、少しでも先生の疲れが癒えれば幸いです。

 退職した当時は、4月、5月と、のんびりと何もせずに毎日ブラブラしたり、美味しいと評判のお店を訪れたり、好きな旅行に出かけたり、溜まっていた本を読んだりと、天国のような日々を悠々自適に過ごしていました。毎月病院で受けている検査結果が突然劇的に良くなったのは、こうしたメンタル面の影響が大きかったと想像しています。それも束の間、6月からは、再び松江北高常勤講師として復帰しました(朝の6時半に登校する私に、二年間毎日美味しいコーヒーを入れて待っていてくれた佐藤敦子先生のミシシッピ大学・大学院留学のための代替講師でした)。授業、補習、副担任業務、部活動、校務分掌にと、二年間ほど忙しい日々に明け暮れました。その佐藤先生もお帰りになり、平成27年の6月からは、非常勤講師として、週に5時間~6時間だけの授業を担当していました。授業は午前中に終わることが多かったもので、美味しいお昼ご飯を食べに出てから、家に帰ってお昼寝をすることができます(尊敬する故・渡部昇一先生は生前お昼寝をよくなさっておられました)。土曜・日曜は必ず休めるし、たまにこれに行事等が加わると、大型連休になったりもします。今まで行けなかった全国各地に旅することができて嬉しかったものです(宮崎・熊本・大分・別府・湯布院・長崎・佐世保・福岡・小倉・門司港・今治・松山・広島・岡山・倉敷・鳥取・城崎・豊岡・姫路・神戸・大阪・京都・金沢・和倉温泉・名古屋・熱海・湯河原・東京・札幌・小樽等々)。その後、北高に加え、米子東高校にできた浪人生のための勝田ケ丘志学館で教えるようにもなり、月~金の毎日朝から晩まで仕事に明け暮れました(電車通勤です)。辞書の改訂作業と指導教材作りに講演と、やはり私は忙しく飛び回っている方が性に合っているのかもしれません。忙しく勤務に明け暮れている時には、授業が恋しいなどとは思う暇もなかったのですが、無くなってみるとやはり寂しいものですね。

 8年間、松江北高現役補習科の担当をしていました。年を追う毎に私の大好きだった北高の姿からどんどん遠ざかるのをこの目で見ながら、淋しい思いをしていました。この2月で身を引くことにしたのは、この淋しさゆえです。長年全力で英語を教えることに没頭して走り続けてきました。現在の私の心境と言えば、「クリスマスの約束」で、小田和正・さだまさしのお二人が共作した名曲「たとえば」の歌詞のような気持ちです。♥♥♥

      「たとえば」
                 小田和正・さだまさし共作

話したいことが  幾つもある  あの頃の僕に会えたら
たとえば  迷いながら選んだ道の  辿り着く場所について
伝えたいことは  他にもある  あの頃の僕に会えたら
たとえば  信じていたことの正しさと  その過ちについて
それから不安を胸に映し  怯えたあの夜の闇も
たとえば  ありもしない夢に紛れて逃げたことも

あの頃の僕に告げたいのは
ひたすら  そこから  ひたすら  歩き続けること
あの頃の歩幅でいいから
ひたすら  ただ  ひたすら  生きてゆくこと

尋ねたいことが幾つもある  未来の僕に会えたら
たとえば  傷ついたり愛された  この命の重さや
尋ねたいことは他にもある  精一杯生きたかどうか
たとえば  奇跡的にめぐり会えた  愛しい人のことを

ここからの僕に言えることも
ひたすら  このまま  ひたすら  歩き続けること
今のままの歩幅でいいから
ひたすら  ただ  ひたすら  生きてゆくこと

ひとつだけ言えることは  全ては今日のために
たいせつなことはひとつだけ  全ては今日のために

話したいことが幾つもある  あの頃の僕に会えたら
話したいことが幾つもある  未来の僕に会えたら
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「転石苔むせず」

 2024年3月4日に東京都内で開かれた大人の文化祭「朝日新聞ReライフFESTIVAL2024春」で、Reライフフェス初出演のシンガー・ソングライター、小説家でもあるさだまさしさんが、ギターによる弾き語りとトークショーで、集まった観客を魅了しました。この模様は4月7日付けの「朝日新聞」に掲載されました(写真上) 。母との思い出など、子どもの頃の話や、人生を後半をどう生きるかなどについて、笑いを交えながら語るとともに、「案山子(かかし)」「関白宣言」など代表曲5曲を披露しました。そこでさださんは、若者の「仕事観」に関して問題提起を行っておられます。

 いまは転職の時代です。僕らのように、どの仕事を選ぶかというときに、三つぐらいしか選ぶものがない人間は幸せでしたね。考えに考えてこっちを選んだら、それで一緒に生きていくっていう覚悟があったから。終身雇用であれば、自分の人生設計ができるわけです。

 いまはそんな時代じゃありません。自分がなぜこの仕事を選んだのかわからないっていう若者の時代です。もっと自分を生かしてくれるところへと転職する。どこにいても自分で自分を生かす努力をしなくなりました。これは問題ですね。僕が会社の社長だったとして、こいつは見どころがあるなと思ってガーッと鍛えて勉強させて、いろんな経験をさせて、よしこれからっていうときに、「すいません、もっと高く自分を買ってくれるところがありましたから出てきます」って言われてごらん。「チェッ!」って言いますよ。

 そういう時代ですからね、会社は自分のお金をためるばっかりになりますよ。昔は、この会社を選んでくれた、この会社で苦労してくれる、だから、もうかったからみんなで分けようじゃないか、という気持ちにはなったけども、いまはそういう時代じゃありません。

 テレビを見ていて、がくぜんとしたコマーシャルがありました。食える大人に育てるっていう言葉がテレビから流れてきたときに、この国はいよいよ終わりだなと思いました。食うことっていうのは、とても大切なことだけど、食えるということがすべてなのか。好きだから努力できるし、好きだから悪口言われて、好きだからボロボロに言われたときでも、そこに立っていられたのはそれが好きだから。好きだからって仕事を選べばいいのに。自分が何が好きかがわからないことが問題だと思うんです。

 さらにさださんは、「産経新聞」4月14日付けの「日曜コラム」においてこう述べておられます。

 頑張って働いても賃金が上がらないなら少しでもお金を多くくれる場所へさっさと転職する時代。人の技能や手腕は「我慢の上に咲く花」などという考え方はもう過去の遺物だろう。

 ここ20年、入社3年以内で離職する大卒者は3割を超えています。なぜ若者は就職活動で苦労してつかんだはずの仕事を簡単に手放してしまうのでしょうか?就職するときの「物差し」が間違っているのではないでしょうか。大学生の多くは、自分に向いているかどうかということではなく、その会社が知名度が高く有名だとか、給料がいいとか、親が喜ぶからとか、そういったことで会社を選びがちなのでしょう。このように会社を知名度や給料で選んだ学生は、入社してすぐに「自分には向いていない」ことに気づきます。これが「雇用のミスマッチ」です。そして「転職の時代」です。バブル時代を生きてきた方々には信じられないかもしれませんが、

①終身雇用が当たり前

②会社を大企業やブランドイメージで選ぶ

③貯金(年金)最強時代

④転職はネガティブなイメージ

といったことはもう過去の話なってしまいました。気に入らなければすぐに転職するのが当たり前と言われるようになった理由はこちらです。どんどん仕事を変わる時代になりました。

①終身雇用の崩壊

②転職がイメージ悪い時代は終わり!若者の転職に対するイメージUP

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 私が教員に成り立ての若い頃、英語のことわざA rolling stone gathers no moss.「転石苔を生ぜず」に、二通りの解釈が存在するということがよく話題になっていました。すなわち(A)「落ち着きがなく転居や転職を重ねて動き回っていると財産も地位も身につかない」(悪い意味)(B)「常に活動的に動き回っているものはいつまでも古くならない」(良い意味)と、(+)(-)全く正反対の意味に取られるという興味深いものでした。同じ表現でも、「苔」の解釈一つで、これほどまでに受け止め方が異なるものか、と面白く思ったものです。当然、この問題はさまざまな研究書に取り上げられ、結論的には(A)はイギリス古来の解釈、(B)アメリカの新しい解釈、という扱いが一般的であったようです。いくつかの学習辞典の扱いを見てみましょう。

◎「職業や住居をしばしば変える人は、金がたまらず、友人ができない」の意味だが、転職 や転居に違和感をもたない人々の間では「活動的な人はいつも清新である」という解釈も一般的。〔スーパーアンカー〕
 ◎「職業や住まいを転々と変える人は金がたまらず、友人もできない」と「常に活動的な人 は新鮮である」との両方の意がある。〔ウィズダム〕
 ◎このことわざの本来の意味は、職業を変えてばかりいる人には金はできない、落ち着いて身を固めないと家庭の幸福は得られない、相手を変えてばかりいては本物の愛は手に入らな  いということ。「常に活動している人は沈滞しない」と、最近ではよい意味でも用いられる。
 〔ユースプログレッシブ〕
 ◎「職をよく変える人は成功し[金持ちになれ]ない」という「忍耐」を尊重するのが本来の意;《米》では「活動する人は常に新鮮である」の意でも用いる。〔ジーニアス〕

◎主に英国では、「たびたび転居や転職をする人は金がたまらない」、「技術や信用も身につかない」、あるいは「移り気な人は真の愛情が得られない」といった意味で使われるが、mobility(移動すること)に価値を置く米国では、「たえず積極的に活動している人は常に新鮮でいられる」と解されることが多い。〔アドバンストフェイバリット〕

 しかしながら、現代英語において、A=イギリス用法、B=アメリカ用法、といった割り切り方は危険だと思われます。現実の用法とはズレが観察されるのです。この二つの解釈に関して、かつてR.イルソン博士(ロンドン大学)は、興味深い事実を教えてくださいました。ロンドン大学のスタッフ(The Survey of English Usage)の中で、40歳以上の人たちは(A)の悪い意味に取り、40歳以下の人たちは(B)の良い意味に解釈するという傾向が見られた、というのです。少なくとも、イギリスでも両方の意味が存在しており、若い人たちの間では、(B)の良い意味の方が一般的という結論ですね。しかし若い人たちの間でも、(A)の悪い意味も消えてはいないとのことでした。

 今度は、アメリカでの実態を、J.アルジオ博士(ジョージア大学)に聞き取り調査していただきました。被験者は60人(大学教授、大学院生、英語専攻大学4年生)。

   (a) People who often move or change jobs will never succeed.
   (b) Active people don’t become bogged down or old-fashioned.
   (c) People who constantly move go through life without incumbrances.

 それによると、(a)と解答した人は15%、(b)または(c)のいずれかと解答した人は85%((b)と(c)はほぼ半分ずつに分かれた)でした。アルジオ博士ご自身も、”If you stay active doing things, you won’t get bogged down or become set in your ways” “If you keep up with things around you, you won’t get left behind by changing conditions.”という良い意味の解釈しか知らない、と答えられました。本校の前ALT・チェルシー先生も、エドワード先生(共に米国出身)も良い意味に受け取るとのことでした。アルジオ博士のジョージア大学の同僚に諺の専門家がおられ、文献をご教示いただき、もともとの悪い意味は英語本来の用法であり、良い意味はスコットランドの用法であり、その影響という歴史も学びました。

 というわけで、私たちの『ライトハウス英和辞典』(第7版)では、「以前は「しばしば職業や住居を変える人は成功しない」という意味に使われていたが、最近では「活動している[飛び回っている]人はいつも清新である」という意味に使う人が多い」という説明に落ち着いたのでした。以上、今日は辞典編集の舞台裏をご紹介してみました。そのことを、私の調査結果を踏まえて、「現代英語の語法観察(4)」(『研究紀要』第49号 島根県立松江北高等学校)の中で明らかにしました。⇒コチラで全文を読むことができます 

 同じ表現でも、「苔」の解釈一つで、これほどまでに受け止め方が異なるものか、と面白く思ったものですが、なぜそのような意味の違いを生んだのか?ということについては、どこにも解説が見当たらないようですので、ここで考えてみたいと思います。興味のある方は、外山滋比古『歯切れよく生きる人 知的な健康生活』(祥伝社黄金文庫、2017年)、『日本の英語、英文学』(研究社、2017年)を読まれるとよいでしょう。 日本もそうですが、雨の多い多湿のイギリスでは、コケは美しく好ましいものと感じられています。コケも生えないというのは貧しさを暗示するのです。コロコロ転がっていたら何も身につかない。その点では日本も同じで、コケを自慢する「コケ寺」があるくらいです。いかにも風情がありますね。日本の国歌の「さざれ石」も、コケがむすまでじっとしているのがよい、という意味ですね。絶えずあちこちに住居を変えたり、やたら仕事を変えたりする者はコケをつけない転石と同じである、成功しない、一つのことにじっとしろ、という意味で使われてきました。他方、アメリカでは、イギリスや日本に比べると気候が乾燥しています。湿地でないと育たないコケはむしろ不潔で邪魔な好ましくないもの、コケのつかないのは結構なことだ、となります。コケがアメリカではあたかもサビのように感じられるのでしょう。才能や能力のある人は、一カ所にじっとしていない、次々と仕事を変えて多忙で錆びついたりすることがない、コケもつかないという、転がる石はコケをつけなくていい、と考えるわけです。絶えず動き回っているのは優秀な人間で、動いていればコケのような余計なものがついたりはしない、いつも輝いている。日本における終身雇用のように一つの所にじっとしていたら、いつまで経っても飛躍は望めない、条件のいいところがあったら、どんどん転職していったほうがよい、活動的なアメリカ人は、転がる石をそう評価するのです。戦後の日本では、なぜかコケを美しいと感じない人が増えたようで、転がる石はいい石だというアメリカ的な解釈が、若い人を中心に広がったようですね。世界的ロック・バンド「ローリングストンーズ」(The Rolling Stones)の活躍・人気も、このことに拍車をかけたかもしれません。♥♥♥

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「恵まれない幸せ、恵まれる不幸せ」

 「100円ショップ」の先駆けとして知られ、現在国内外に約5,200店舗、売上高は5,800億円を超える業界最大手の「ダイソー」。29歳の時に広島県の雑貨移動販売からスタートし、今日の繁栄の礎を築いたのが故・矢野博丈(やのひろたけ)さんです。同社をゼロから立ち上げ、今日の繁栄へと導いてきた矢野さんは、2024年2月12日にお亡くなりになりました。80歳でした。人生の辛酸を嘗め尽くしたという氏の二十代の歩みと苦労を辿ることで、運命を切り拓く要諦を探ってみようという「産経新聞」のインタビューが続いている最中での訃報でした。2022年、100円ショップ「ダイソー」を手掛ける大創産業は、創業50周年を迎えました。行き当たりばったりの歩みを振り返り、よく潰れずにここまで来たなと感慨深いものが込み上げてくる、と矢野さんはおっしゃっておられました。人生はまさに波瀾万丈。大学在学中に結婚し、卒業後は妻のハマチ養殖場を継ぎますが、3年で倒産。兄から借りた多額の借金を踏み倒して、妻子を連れて東京へ夜逃げ。その後長続きする職業はなく、気がつけば転職を9回も重ねていました。行き着いたのが日曜雑貨の移動販売。なんと商売が軌道に乗りかけた時に、今度は自宅兼倉庫が火事にあいます。そんな苦難の末に行き着いたのが「100円ショップ」でした。大阪の問屋で鍋や文房具などを仕入れ、広島県内の神社や公民館の前で売りさばいていた時に、客からの値段の問い合わせに、面倒になって「全部100円」と答えたのが100円均一の始まりでした。当時の移動販売では、「安かろう悪かろう」の商品を扱う業者であふれていました。客からは「安物買いの銭失い」という言葉を浴びせかけられることも何度もありましたそこで「顧客第一主義とは、お客様が喜ぶということ。それを骨身に染みて理解できないと、会社を大きくできない」矢野さんの哲学でした。

 創業当初は、銀行や経営コンサルタントから「100円ショップでは儲からん。やっていけるはずがない!」と散々言われたものです。実際、絶えず倒産の二文字が頭から離れたことはなく、入社式では新入社員たちに「大創産業はあと5年で潰れます」と伝えていました。もちろん意図的に倒産させるつもりはありませんでしたが、本気でそう思っておられたのです。ただ、常に不安に駆られていたからこそ、決して安住することなく、「潰したくない」とその瞬間、瞬間を一所懸命生き抜きました。危機感が強く、常に変化と新製品を出し続けてお客さんを飽きさせることがありませんでした。この積み重ねが、今日のダイソーの繁栄を築いたのだと自負しておられます。八人兄弟の末っ子として、広島県で生まれ育ちました。開業医だった父親は、貧しい患者からは一切治療代を取らないことで知られ、たとえ夜中の12時であろうとお構いなしに、馬に乗って隣の村まで往診していました。そのため地元のバスに乗車した際、「お宅のお父さんは命の恩人です」と感謝された経験は一度や二度に留まりません。父親は貧しい家庭を多く診ていたこともあり、自分の子供には同じ苦労をさせたくなかったのでしょう。

 「夜逃げ、9回の転職の末に」「100円ショップは偶然の産物」「経営とは『経験の科学』」等、数多の艱難辛苦を乗り越え、独自のビジネスモデルを生み出した矢野さんの足跡には、道なき道を切り拓く要諦が詰まっています。矢野さんの20代は、恵まれたいという一心で必死にもがき続けた10年間でした。悲運続きで、運命の女神を恨み続ける日々でしたが、27歳の頃に参列したある結婚式で、京都のお坊さんがこんな話をしていました。「好むと好まざるとに拘らず、これからお二人には艱難辛苦が押し寄せてきます。それを乗り越えたら、きっといい人生が送れるでしょう。人生に無駄なことは一つもありません」と。その言葉を聞いた時、「何を馬鹿言うんだ。俺の人生無駄しかないじゃないか」と腹を立てましたが、帰りの電車でふと考えてみると、私は人一倍艱難辛苦を与えられたではないか。もしかすると運命の女神に見限られているのではなく、運がいいのかもしれない。そう思うようになってから、心の霧が晴れ始め、少しずついいことが起こるようになりました。

 以上の話を踏まえ、矢野さんが20代を生きる方々に伝えたかったのは、「苦労ほど有り難い恵みはない」ということです。幾多の苦労に見舞われるということは、もっと徳を積み、幸せになりなさい、という神様からのエールなのです。困難に揉まれ、人間が鍛えられた先に、回り回って徳や運が味方につき、自ずと運命は拓けていくのだと実感します。一方、恵まれることは不幸が訪れる序曲です。戦後日本は高度経済成長で発展したものの、現在は経済成長率を2%に乗せることさえ容易ではありません。現状に甘んじた瞬間から、国も会社も人も衰退の一途を辿りました。

 ダイソーでは商品開発と仕入れに注力し、今では毎月1,200を超える新商品を手掛けるなど、お客さんを飽きさせないように絶えず工夫を凝らしてきました。常に危機感を持ち続けることが、新たな知恵や挑戦に繋がり、思いがけない未来を形づくる糧になるのです。また、ダイソーでは各店舗への出荷作業を、障がいをかかえた人たちに任せています。障がい者雇用にも積極的に取り組んでいます。社内に飾られた絵画の多くは障がい者が描いたものだそうです。矢野さんは「障がい者の理想郷をつくる」と新しい夢を描いておられました。

 恵まれない幸せ、恵まれる不幸せ。失敗するしか成功する方法はない──。これこそが、矢野さんの経験から伝えたかった教訓でした。大学で講演すると、必ずと言っていいほどこの「恵まれない幸せ、恵まれる不幸せ」を話されます。運も才能にも恵まれないという弱さ、怖さ、おぞましさに打ち勝つために、何度も職を変え、目の前のことを試行錯誤しながら一生懸命頑張りました。決してうまく行った人生とは言えないほど、波瀾万丈で苦労をした恵まれない過去があったからこそ、今の成功があるのです。むしろ恵まれなかったことによって、学べることの方がたくさんありました。苦労ほど有り難い恵みはないということです。恵まれない状況にいるときこそ逆境を乗り越えようとするので、人として強くなる。幾多の苦労に見舞われるということは、もっと徳を積み、幸せになりなさいという神様からのエールなのです。困難に揉まれ、人間が鍛えられた先に、回り回って徳や運が味方につき、自ずと運命が開けていくのです。常に感謝・勤勉・誠実な姿勢であり続けたいですね。一方、恵まれることは不幸が訪れる序曲です。恵まれた状況になると、そこで安心、慢心してしまい、恵まれない方向に向かっても対処ができなくなるのです。心したい言葉ですね。

 矢野さんが残された言葉には、私の心に刺さるものがいくつもあります。「成長よりも会社が潰れないことが大切」「褒めるより叱る優しさが大切」「努力の結果は3年先5年先に出てくる」「運を良くすることをしよう。人の為になることをしよう。人様に役に立つことをしよう」♥♥♥

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「やる気」の三原則

 見山 敏(みやまさとし)という社長さんがいらっしゃいます。昔、オムロンにお勤めになり、死を覚悟したほどの大病の後、株式会社ソフィアマインドを起業されました。私がまだ若い頃、ご親切にも無料で送ってくださる「ソフィア」という自己啓発の機関誌を楽しみにしたものです。見山さんの真摯な生き方には大いに刺激を受けました。手当たり次第に著書を読んだものです。現在も見山さんのホームページ(⇒コチラです)にも、貴重な情報がたくさん出ていますのでお勧めしておきます。

  「どうもやる気が出なくて困っています」と、よく生徒から相談を受けることがあります。そういうときには、見山さんから教えてもらった「やる気の三原則」を紹介することにしています。それは、①目標が明確になっていること、②進歩の度合いが分かること、③ほめられ認められること、の三つです。我々教師の務めは、生徒の心に火をつけることですから、この見山さんの考えは参考になりますね。詳しく知りたい方は、見山さんの著書『やる気がでる』(ダイヤモンド社)をお読みください。

 私はアメリカの臨床進学者フレデリック・ハーズバーグ「動機づけ要因説」を読んだことがあります。彼は約200人の技術者と事務員への詳細な面接調査によって、仕事のやる気は、福利厚生、給料、作業条件、人間関係などの条件面の充実によって生まれるのではなく、これらは不満を和らげる歯止めの役しか果たさないことを明らかにしました。「やる気」を起こさせる要因は仕事そのものに立ち向かう動機づけがうまく成されているかにかかっており、それは5つあります。①やりがいのある仕事を通して「達成感」が味わえること、②達成した結果を上司や同僚に「認められる」こと、③「仕事そのもの」に自己の知識や能力を生かせること、④「責任」をもって仕事を任せられること、⑤仕事を通して能力が向上し、人間的に成長できること、つまり「外的要因」ではなく、「心的な動機づけ」であり、自己実現による心からの充足です。私の長い教員人生を振り返ってみても、間違いなくそうでした。ここら辺がリーダーの役割になるんです。

 「目標」に関する中国の有名なお話です。

 兄弟でロバを引いて歩いていたら、「無駄なことをしている」と言われたので、兄が乗ることにした。しばらくして行き違った人から「あの兄は年少者に対する愛情がない」と非難されたので、遠慮する弟を無理矢理馬上に押し上げたら、「礼儀を知らない弟だ」とまた人から叱られた。それではと、二人で仲良く乗ったら、こんどは「動物虐待だ」と騒がれたので、二人でロバを担いで返ってきた。

 さて私は、この兄弟はなぜこのような無駄な骨折りを続けなければならなかったのだろうか?と生徒たちに問いかけます。答えは簡単です。この兄弟はロバを利用するのか、ロバを愛するのか、礼儀を守ることを主とするのか、年少者をいたわることを主とするのか、要するに「目的」が確立していなかったのです。「目的(目標)」さえ確立しておけば、このように個々の状況判断において右往左往することはなくなります。人生は右往左往しているほど長くはないのですよ。♥♥♥

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「陽気」再訪

◎週末はグルメ情報!!今週はラーメン

 広島へ行くと私が必ずお邪魔するのが、中華そばの名店「陽気」です。長年通っている大好きな「つばめ」「すずめ」「めじろ」と共に(「小鳥系」と呼ばれています)、広島ラーメン」の代名詞とも呼べる存在のラーメン屋さんですね。全部で中区江波、大手町、西区横川、福山市に4店舗があります。私はいつも広島路面電車の「中電前」で降りて、大手町店でいただいています。陽気」さんのラーメンを食べておくと、広島のいろいろなラーメンを食べ歩く上での「基準」を作り易いので、そういう意味でも一度は食べておくべきラーメンでしょうね。メニューが「中華そば」一本というのが、ストイックで老舗らしい自信を感じさせます。いつ食べても、何度食べても、美味しいです。「陽気」のラーメン(中華そば)は 広島ラーメンの王道の醤油とんこつ。 醤油が少し濃いめのとんこつスープで、臭みはなくやさしい感じで 美味しいんです。年季が入った器がまた、いい味出していますね。モヤシが乗るのが広島ラーメンの特徴です。自動券売機では、この「中華そば」「おにぎり」(1個or2個)のみの扱いです。店内には、カウンター席とテーブル席があります。

 この「陽気」も屋台から始めたラーメン店です。屋台からの叩き上げの店主は、NHKと日本テレビがカラーテレビの実験放送を始めた1957年(昭和32年)に、かつて陸軍射的場や広島陸軍病院が存在し、戦時中、比較的被害を免れた江波(えば)というエリアにお店を開店します。そんなお店の近くには、かつて広島地方気象台として活躍し、広島市への原子爆弾投下にも耐えた、現存する被爆建物である江波山気象館が鎮座しています。そんなお店の周りは住宅街にもかかわらず、タクシーや車での来店客で毎日のように非常に賑わっている繁盛店です。

▲このシンプルな中華そばが絶品!

 昔ながらのこちらのお店、メニューはラーメンのみ。それが「陽気」の流儀であり誇りでもあります。大盛りも無ければ、チャーシュー麺なども存在しない。大盛りが食べたければ1杯食べたあとに、もう一杯ラーメンを注文するシステムです。唯一のトッピングと言えばニンニク。ニンニクを追加してパンチのある味わいを楽しみたい方はオーダー時にニンニク追加、と伝えます。本物の広島ラーメン、それが「陽気」のラーメンです。着丼したら、まずはスープの香りと味わいを堪能。奥行きのある豚骨スープに醤油ダレの味わいが、最高のラーメンタイムの始まりを告げています。あっさりとしていながらウマミたっぷりのチャーシューに、ネギ、そしてシャキシャキとした広島産の細いモヤシ。それぞれの具をスープとともに味わうのもいいかもしれません。もちろん麺も忘れてはいけません。博多ラーメンのような細い麺にはしっかりとコシが残っており、すすり上げるとともに、美味しいスープの香りが口の中に広がっていきます。戦後間もない頃に生まれた、広島ラーメンの完成系とも言える味わいがそこにはあります。♥♥♥


先日たまたま「イオン菅田店」をのぞいたら、「全国ラーメンフェア」というイベントをやっていて、「陽気」のインスタントラーメンも販売されていました(あのおばあちゃんが特徴)。早速買って帰って味見をしました。広島のお店とよく似た味で美味しかったですよ。♥♥♥

▲自宅でも「陽気」のラーメンが!「きたがき」の焼豚と「九条ネギ」を乗せると美味に

 

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「イルミリー」

▲米子「ロフト」の売り場にて

 私がよく行く米子天満屋4階の「ロフト」で、面白いものを見つけました。ここには松江ではあまり見かけない文房具がよく置いてあるので、しょっちゅうのぞいています。「ILMILY Color two colorスタンプ」(価格:165円) このスタンプを捺してインキが乾いたところで、本体後部の専用ラバーでこするとインキ色を変化させることができるスタンプです。「ブック」「食事」「カフェ」「映画」「ギフト」など、ウィッシュリストTo Doリスト作りに重宝する10柄を集めて数量限定の発売です。こすってやると、スタンプの色が濃い色から薄い色へ変わるため、タスクが完了した後のチェックにも使うことができますね。私は「ブック」を購入しました。これと同じ原理のボールペンも置いてありました。実は2002年に、こすると色が変わるボールペン「イリュージョン」が発売されています。「イリュージョン」は黒から変化しましたが、今回は色から色へと変わるインクとなっています。インク性能もアップしており、インク色にこだわって開発されました。ユーザーからは「インク色がかわいい」と評判になっています。

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 もう一つ私が買ったものをご紹介しましょう。『ILMILY Color two colorテンプレート』(価格:495円) ウィッシュリスト作りや手帳、ノートを楽しく彩れるモチーフばかりを集めたテンプレートです。 “Cafe”、 “Travel”、 “Home”をテーマとした3種類のテンプレートが用意されました。B6サイズのダイアリーやノートに使いやすいテンプレートは、絵を描くことが苦手な人でも簡単にかわいいモチーフが描け、その外周を使ってそれぞれのテーマをイメージしたフレームも簡単に描くことができます。私は“HOME”バージョンを購入しました。

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▲私が買って帰ったイルミリー「HOME」

<ILMILYとは?>

 『ILMILY』は、デジタル化が進む中、社会人になるとどんどん手書き時間が少なくなってくるので、改めて書くことの楽しみや手書きの時間をもっと大切にする思いを形にすべく、様々な部署の社員による社内横断型のプロジェクトによって誕生したブランドです。文房具が好きな自分たちが本当に欲しいと思える文房具を作りたいという思いから、筆記具を手にしたり、一人で過ごしたりする手書き時間によって、心にゆとりが生まれ、周りの人にもやさしい気持ちになれるようなブランドにすべくコンセプトや世界を創造しました。“手書きの時間を、もっと素敵に、らしく、楽しく。”をコンセプトに、書くことの価値を届けていくブランドとして展開しています。『ILMILY』は、“I Like Me, I Like You”という言葉の頭文字を取ってネーミングされました。第1弾として2021年2月に「ペールトーンカラーシリーズ」を、第2弾として2021年9月に「手元コーデシリーズ」を発売、市場のコアなユーザーから好評を博しました。♥♥♥

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10年偉大なり。20年畏るべし。30年歴史なる。

 インテリは首から下を使おうとしない。勤労者は首から上を使おうとしない。頭と胴体の分裂に、日本の悲劇、不幸がある。(東井義雄)

 動中の工夫は静中に勝る。百千億倍。(白隠禅師)[=動きながら考えることは、黙って座って考えるよりも、百千億倍の価値がある]

 私の尊敬する鍵山秀三郎さん(イエローハット創業者)は、創業時にたった一人でひらすら会社の「掃除」に精を出されました。周囲の人々の視線は大変冷たいものでした。誰一人手伝おうとしないどころか、煙たがられたり無視されたりもしました。「掃除くらいしかできることがないのだろう」「どうせすぐにやめるさ」とまで酷評されました。批判される度に、鍵山さんは迷いましたが、「では、ほかに会社をよくする方法があるのか?」といくら考えても、よい方法を見つけることができませんでした。そこで誰に何を言われようとも、「掃除」だけをコツコツと続けてきたのです。掃除や労働で身体を動かしながら物事を考え、考えたことをまた掃除や労働を通して身体で表現していきました。それはまるで空気に釘を打ち付けているかのような空虚な感じでしたが、それでもはかない努力を続けていると、やがて小さな変化が現れ始めます。一人、また一人と手伝ってくれる人が現れ始め、職場がいつもきれいに保たれるようになってきたのです。美しい職場は、働く人の心も美しくします。荒んでいた社員の心が次第に穏やかになっていき、表情が徐々に明るくなっていきました。「やはり、今までやってきたことは間違ってはいなかった」鍵山さんは初めて確信します。ここまで来るのに、10年の月日が流れていました。

 ゴミの捨て方ひとつで、その人の人間性を想像することができます。上流階級の人が多く住む都心の街のゴミ置き場がとてもひどいことになっていました。分別がいい加減です。周りにゴミが散乱して誰も片付けようとしません。そこで鍵山さんは、乱雑に積まれたゴミ袋を一つひとつ開けて整理し直し、きれいに戻すという活動をしておられました。街から喜ばれるのかと思ったら、「他人のゴミ袋を勝手に開けるのはプライバシーの侵害だ」と非難され、一度は警察に通報までされました。幸い駆けつけたお巡りさんが、こう言ってくださいました。「この人たちは街を美しくしようと掃除をしてくださっているんですよ。何が悪いんですか!」。このような人々は上流かもしれませんが、決して上品ではありません。道路の排水溝には、石や泥、人がポイ捨てしたタバコの吸い殻やゴミがたまって詰まっている箇所がたくさんあります。放っておくと大雨の時に水が溢れて危険です。鍵山さんは道に這いつくばって徹底的にきれいにします。自動販売機の横にある空き容器入れは、本来自販機で購入した飲み物の空き缶や空き瓶を入れる目的で設置されているものですが、行楽日和にはお弁当のカラから、お菓子の紙くずまで、あらゆるものが突っ込まれ溢れ出そうとしています。鍵山さんは、いったん中身を全部外に出して、分別をして、空き缶、空き瓶以外は持ち帰って処分されます。これは本来鍵山さんの仕事ではありません。もちろん誰の仕事でもありません。だからこそするのです。誰の仕事でもないことをする。ゴミ置き場をきれいにに整理すれば、回収する人も気持ちよく仕事ができます。側溝の詰まりを取り除けば、水の流れがよくなり、よどんでいた周囲の空気さえもさわやかにしてくれます。こうした誰の目の前にもある小さなことを、積み重ねていくことから始まるというのが鍵山さんの哲学なんです。

 さらに掃除に励んでいると、お客さんの側からも変化に気づいてもらえるようになってきました「御社の社員は、言葉遣いや態度が他社の人とはずいぶん違いますね」「車の停め方ひとつをとってみても、きちんとされていますね」などと評価してもらえるようになりました。ここまで来るのに、20年かかっています。

 30年経つと、よそから「掃除のやり方を教えて欲しい」と依頼されるようになりました。著名な企業や団体からも多くの人が研修に来られるようになりましたし、鍵山さんが全国各地に掃除を教えに行くようにもなりました。

 ここからもまさに「10年偉大なり。20年畏るべし。30年歴史なる」ということが実感できますね。手を動かす前から「無理だ」と決めつけてしまうのは、頭でしか考えていない証拠です。頭と胴体を一致させて、実践を通して考えていくことこそ、冒頭で挙げた言葉の意味だと思います。人はどうしても出来ない理由を探してしまいます。そのうちまとめて一気にやろうと考えます。これはやらないことの言い訳にすぎません。今できないことは、まとめてもできないのです。やろうと思ったのなら、今すぐに少しだけでもやるべきなのです。今すぐにできないことは、時間と手間をかけてやる。一人ではできないことは他の人の助けを借りてやる。この方法ではできないと思ったら別の方法を考える。鍵山さんが講演を引き受けられる時の大きなテーマの一つが「大きな努力で小さな成果」です。「エーッ、その逆じゃないんですか?」と言われることがよくあります。「小さな努力で、大きな成果」を得る生き方よりも、「大きな努力で、小さな成果」を得る生き方のほうがより確実な方法で、そのほうが自信になり大きな満足が得られるんです。私も今までそんな生き方をしてきました。たった1行の辞典の記述に、4~5時間も、時には1日かかることもありました。常に床に就くのは夜中の2時、3時です。

 鍵山先生によれば、「小さな努力」「大きな成果」を得ると、心が不安定になります。落ち着きをなくし、険しい人相になります。近年、世相が悪化している背景には、「小さな努力」「大きな成果」を安易に得ようとする人が、あまりにも多くなっているのが大きな原因です。 一方、「大きな努力」「小さな成果」を得る生き方をしますと、心が安定し気持がおだやかになります。昔の日本人が、貧しくとも顔立ちに風格があったのは、手にする報酬よりも、はるかに多くの努力を己に課していたからです。 「労せずにして手に入れよう」とか「うまく立ち回って、ものにしよう」などという姑息な考えを否定する社会正義が定着していたからです。たとえ「大きな努力」「小さな成果」しか得られなくても、そういう生活に耐えられる安定した生き方の人が増えれば、必ず世の中はよくなります。今の世の中は、いかに楽をして大きな報酬を得ようとすることに関心が行きがちです。

 勉強においてもこれと同じことが言えます。私たちは、少ない労力と時間で楽をして何がしかの成果を得ようとしがちです。しかし、そうした事はめったに良い結果を生むものではありません。たとえ一度はうまくいったとしても長続きすることはありません。私たちが、勉強でやきもきしてイライラするのは、うまくいかないときです。進まないときです。しかし、そんなときにはもう一度自分の姿勢をよく見つめてみて下さい。少ない時間・短い期間・楽なやり方で終えようとしてはいないでしょか?少ない回数・僅かな労力でできるように思い込んでいませんか?1回で済ませようとしていないでしょうか?少ない努力で多くを得ようとしてはいないでしょうか?たくさんやれば、少しはうまくいくんです。下手でもたくさんやればうまくなり、できるようになるんです。100回紙に書けば、口に出せば憶える。100回読めばわかるし、100回解けば解けるようになる。勉強の現実とはそんなものです。それなのに、「散歩のついでに富士山に登ろう」として(⇒詳しくはコチラです)、「ABC」(たり前のことをカになってゃんとやる)を疎かにしている生徒がいかに多いことか!「甘く」見ていては、痛い目に遭うのは当たり前のことです。

 以前の松江北高は、大学入試に向かう生徒たちに、安易に「推薦入試」を受けさせませんでした。当時、私は田舎の学校の進路部長をやっていて、「不思議だなあ、なぜ北高は推薦を利用しないんだろうか?いくらでも合格できるのに…」と疑問に思っていたものです。松江北高赴任1年目に担任した生徒の母親から卒業式の日に「この学校に入学させるんじゃなかった。他の学校に行けば推薦を受けさせてもらえたのに…」と言われて悲しい思いをしたことは今でもハッキリ覚えています。でも18年間籍を置いた今なら、その理由はよ~く分かります。決して楽をさせることなく、自分で「大きな努力」を積んで、自分で道を切り開け、という無言のメッセージです。また北高の生徒たちにはそれだけの秘めた能力があるはずだ、という「鳥の目」的な判断です。長い目で見たらそれが本人のためなんですね。楽をすると、大学に入ってから苦労することは目に見えていますからね。ところがかつてと違い、今の北高は推薦入試をドンドン使って楽をさせています。

▲陸上日本一になった福田翔子さん(3年生当時)

 推薦入試で年内に合格してしまうと、「頑張ります!」とは一応言ってはいますが、どうしても以前のような緊張感・集中力を持って学習に取り組むことはなくなります。どこかで手を抜くようになるんです。合格すると学校に来なくなる生徒もいました。必死で頑張っている仲間たちへの悪影響も見られます。かつて松江北高の三年生だった福田翔子(ふくだしょうこ)さん(写真上)は、陸上800mで日本一に輝いた生徒でしたが(⇒コチラに詳細が)、大会、国内合宿、海外遠征で頻繁に学校を留守にする際も、常にその間の授業のプリントや単語の小テスト・課題テストはきちんとこなしていました。授業の空白を己の努力で埋めようとしていました。センター試験も高得点を取り、地元島根大学に合格しました。大学の入学式では、入学生代表で宣誓の挨拶を行っています。「大きな努力で小さな成果」を、毎日コツコツ実践していた(そして大きな成果をつかんだ)のが彼女でした。在校生たちにいつもその話をしてやったものです。見習いたいですね。❤❤❤

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運がいい人を採る

 ジャーナリストの田原総一郎さんが故・松下幸之助さんと対談された際に、社員の採用や登用の基準に関して尋ねられたことがありました。「部下を抜擢する場合、たとえば特定の人を役員や関連会社の社長などに登用するというとき、その人のどこを見て抜擢するのですか。頭のよさですか?」松下さんに質問したところ、「頭はほとんど関係ない」とお答えになりました。松下さん自身は小学校中退で、学歴のある人ではありません。大卒社員については「大学でろくでもないことばかり学んでいる」「世の中のことが分からないのに、分かったフリをするのがうまい」「近道をするとか、うまくサボるとか、そういうことにかけては要領がよい」「大卒社員から大学と同じ四年間、むしろ月謝が欲しいくらいだ」と厳しい発言をされました。頭でないとすると、「健康で丈夫な人ですか?」と尋ねると、それも関係ないと言われます。松下さん自身、20歳の頃に結核にかかっておられ、「実はまだ完治しておらず半病人の経営をやっている。元気な人間は陣頭に立って突っ走るものだが、振り返るとだれもついてきていないことが多い。陣頭に立って、自分についてこいと、独裁になる者が多い。自分は半病人的経営だから、社員たちの後ろからついていく」と。このように部下の抜擢は「頭」でも「健康」でもないというので、不思議に思った田原さんは、今度は「誠実さですか?」と尋ねました。しかし、それも関係ないと。松下さん曰く「社員が誠実になるかどうかは経営者次第」で、社員を誠実にさせるかどうかは経営者にかかっており、本質的に人間が誠実であるとかないとかは言えない、と主張されたのです。「では一体人の何を見て抜擢するのですか」とはっきり聞くと、「運」だと言われます。「松下さんは運のいい人間と悪い人間を見ただけで分かるのですか?」と聞いた所、「分かる」と言われました〔笑〕。

 松下幸之助さんは、入社試験の面接で、能力よりも「あなたはがいいですか?」と聞いて、運がよいと答えた学生を採用していた、といいます。田原総一朗さんとの対談の中でこう言っておられます。

田:「どんな人を採用されるのですか」
松:「二十一世紀のリーダーを採用します」
田:「松下幸之助さんのお眼鏡にかなう、指導者の卵といえばどんな人ですか」
松:「会うてみな分からんが、しいて言うと、運の強い人ですなあ」
田原さんはびっくりして
田:「あなたは面接をして、その人の運が強いかどうかが分かるのですか」
松:「まあ、顔と略歴を見たらだいたい分かりまんな」

 運のない人は、死なんでもいいときに死んでみたりする。なんぼ追いつめられても、徳川家康のように流れダマがそれて死なん人もいる。人為ではどうしようもない、もって生まれたものですな。ぼくは、二人のうち一人を雇おうとする場合、学力、人格に甲乙つけがたいときは、履歴書などを参考にして、運の強い人を選びますな。運のいい社員は流れダマに当たらないし、会社にも運が向いてくるわけですよ。(松下幸之助)

 日本の政治を憂いた松下さんが新しく作った「松下政経塾」の面接でも、松下さんは「運がいい人」を採るように指示を出しておられます。「運の強い人を採用する」という松下さんの哲学。実は、彼のこんな実体験から来ているんです。

 セメント会社で臨時運搬工としてアルバイトをしていた頃、毎日大阪築港の桟橋から出る小さな蒸気船で通っていました。夏のある日、いつものように船べりに腰掛けて夕日をうっとり眺めていたら、そばにいた一人の船員が足を滑らせ、その拍子に抱きついてきたので、そのままその船員と共にまっさかに転落して海に深く沈んでしまったのです。びっくりした松下さんは、もう無我夢中、もがきにもがいてようやく水面に顔を出しましたが、船はすでに遠くに行ってしまっています。「このまま沈んでしまうのか?」不安が頭をよぎりましたが、ともかく夢中でバタバタやっているうちに、事故に気づいた船が戻ってきて、ようやく引き上げてくれました。幸い夏であり多少とも泳げたので溺れずに助かったのです。冬だったら絶対に助からなかっただろう。このとき松下さんは自分は「運の強い男」だと確信したと述懐しています。

  さらにこんなこともありました。独立して松下電器器具製作所を始めたばかりの大正8年のことです。松下さんは自転車に乗って部品を積んで配達していたときに、自動車と衝突して5メートルくらいはね飛ばされ、電車道に放り出されていました。ちょうどそこへ電車が走ってきて「もうだめだ!ひかれる」と思って目を目をつぶったとき、電車は急ブレーキをかけて松下さんのすぐ手前で止まりました。積んだ荷物は辺り一面に散乱しているし、自転車は滅茶苦茶に壊れています。周囲には黒山の人だかり。立ち上がってみると、かすり傷も、打ち身も、痛みもありません。野次馬たちは、あれだけ衝突して傷一つないとは、運の強い人だなと言って、散らばった製品を拾い集めてくれました。ここでも「おれは運の強い男だ」という確信を強めたのです。

 これらの経験から松下さんは、「自分は運が強い。滅多なことでは死なないぞ」という確信を持つにいたったのです。そして「これほどの運があれば、ある程度のことはできるぞ」と、その後の仕事をする上で大きな自信になったと言います。みなさんは自分は運がいいと思いますか?もうちょっと松下さんの言葉を聞いてみましょう。彼は物事がうまく運んだときは「これは、運がよかったのだ」と考え、うまくいかなかったときは、「その原因は自分にある」と考えるようにしてきたそうです。

 だから、運命が90%だから努力しなくていいということにはならんね。けれども努力したから必ず成功すると考えてもあかんよ。しかし成功するには必ず努力が必要なんや。つまり舵となる10%での人事の尽くし方いかんによって、90%の運命の現れ方が異なってくる。生き方次第で、自分に与えられた運命をより生かし、活用できるというわけやね。

 「運」を自分のものにできるかは日々の取り組み方次第であることは明らかです。「不断の努力」がキーワードのようです。尊敬する故・野村克也監督は次のように言っておられました。

 運がめぐってきたときに、日々、取り組んできた人だけが、それをつかむことができる。日々をおろそかにしていたものは、チャンスをつかめず、「運」がめぐってきたことにさえ気づかないのではないだろか。誰にも「運」はめぐってきているのだ。成功したものは「私は運がいい」と言い、成功できなかったものは「私は運がない」と言うのはそういうことかもしれない。 ――野村克也『成功する人は、「何か」持っている』(詩想社新書、2018年)

 人生においてどうやったら「運」「ツキ」を引き寄せることができるかは、なかなか難しい問題ですが、どうやったら「運」から見放されるかは実に簡単です。大和ハウス工業樋口武男(ひぐちたけお)会長の言葉です。「人の道を守らない人間、親を大事にしない人間、恩ある人に砂をかける人間に、運はついてこない」♥♥♥

 運はつくるって言うか、育てていくものでしょうな。運というものを、じっとかみしめてみる。そしてよくその味を味わう。こういう味なら、何を加えればもっといい味にすることができるか、考えることでんな。そうすりゃ、いい運にもっと恵まれる。運というのは、人間にとってたいへんに必要な言葉ですよ。いわば自己形成の大きな原料でんな。 (松下幸之助)

▲松下幸之助さん最新刊 エピソード満載

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ポカポカ陽気

 先週の金曜日のことです。勝田ケ丘志学館で授業が終わり、博労町から境線米子駅に、米子駅から出雲市駅行きの国鉄系キハ47に乗車しました。この日はものすごいポカポカ陽気で、いい気持ちで座席に腰掛けていました。揖屋駅を過ぎた辺りまでは覚えているのですが、ついうつらうつらしてしまったようです。気がつくと見たこともない駅に停車していました。慌てて飛び降りると、松江の次の乃木駅まで乗り越してしまっていたようです。大急ぎで跨線橋を渡って、反対側のホームに行き、無人駅の時刻表を見ると、あと7~8分で米子行きの列車が来るとあり助かりました。米子行きの列車に乗り込み、松江へと引き返します。そう言えば2年前にも同じ経験をしたことを思い出しました。その時は列車が1時間半以上なく途方に暮れていた所、市内循環バスがやって来て助けられました(⇒詳しくはコチラに)。

 松江駅に着いたところで、事情をお話しして駅員さんに乗り越し分の運賃を払おうとした所、必要ないと言われ、そのまま自動改札機を出るように言われました。30分近い時間を無駄にしてしまいましたが、それほどダメージなく帰ることができました。松江駅シャミネにある「リトルマーメード」で、最近出たばかりで美味しかった「コペンハーゲナー」というデニッシュパンを買って、帰る途中にあるケーキ屋さんの「ペイナタル」(Pays Natal)「オパル」「デリス・オー・フランボワーズ」を購入して帰りました。

 「あー、やれやれ、これで今週はのんびりとできる」と思ってカバンを開けたら、とんでもないことに気づきました。列車の中で校正と手直しをしていたブログの原稿30枚とピンクのボールペン(ナイジェルフリー)がどこにもありません。よく思い出してみると、ポカポカ陽気で手直しをしながら原稿をそのまま座席に置いてウトウトしてしまったようです。乗り越したことに気づいて慌てて降りた際に、座席にそのまま原稿を忘れてしまったのです。時間をかけて真っ赤になるまで手直ししていた大切なブログ原稿です。「困った!」最近はいたる所でこのような物忘れが多くて困っています(今日も手袋がない!)。間違いなく歳のせいですね。JR西日本「忘れ物問い合わせセンター」に電話をかけ、事情を話して出雲駅に届いていないかどうか確かめてもらいました。落とし物の特徴を伝えると、その時点での拾得物情報を照会した上で、目的物の有無を回答してくださいます。問い合わせをする際には、忘れた物の詳細な情報を伝えることが重要です。例えば、忘れた日時、乗車した車両番号や車両の位置(先頭から何番目か)、忘れ物の特徴(色、形、大きさ、ブランドなど)を具体的に伝えるのです。JR西日本の各駅・路線で見つかった忘れ物の情報を一元管理しているとのことで、問い合わせ先が一本化されていて便利ですね。この時は、残念ながらそのような落とし物は届いていないということで、一応登録しておいていつでも電話で現在の状況を確かめることができると、実に親切丁寧に案内をしていただきました。4時間ほど経ってからもう一度電話してみましたが、やはりまだ出て来ないということでした。翌日また確認してみようと思い、あきらめてパソコン作業に明け暮れました。すると夜になって、米子駅から電話がありました。原稿が見つかったとのことでした。月曜日に米子駅で返却していただきました。いつぞやも大切な手帳を電車に置き忘れて途方に暮れていたところ、見つかったと米子駅から電話をいただき、本当に助かったことがありました(私はスケジュールの管理をこの一冊でやっているので大切な手帳なんです)。日本は幸せな国です。こうやって落とした物がちゃんと届けられ、無事に落とし主の元に戻ってくるのですから。JRに大感謝です。

  治安の良さで知られる日本においては、落とし物が持ち主の元に戻る確率は結構高いんです。財布は8割以上の確率で手元に戻るという、海外では考えにくい状況です。警視庁の発表によると、2018年に東京管内では証明書類(身分証など)について約101万件の遺失物届が提出され、これに対して拾得届は約75万件でした。当然のことながら届出が行われなかった遺失・拾得は含まれていないものの、数字の上では身分証を落としても4回に3回は戻ってくる計算になります。同様に携帯はおよそ26万件中の61%、財布は40万件中93%と、高い割合で落とし主に返還されています。一方海外では、落とし主が財布と再会する確率はこれほど高くありません。米ミシガン州立大学ロースクールの教授が行った社会実験によると、携帯と財布を合わせて東京では約9割が拾得物として届けられたのが、ニューヨークでは6%ほどに留まるという結果が出ています。♥♥♥

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訃報 大田 肇先生

▲右端が大田先生

▲右から二人目が大田先生

 3月6日、太田 肇(おおたはじめ)先生(享年71)の訃報に驚きました。島根県の英語教員に同期採用された仲です。若い頃、島根県立松江南高等学校で長くご一緒しました。当時の南高「北高に追いつけ、追い越せ!」と必死で頑張っていた時代で、私たち若手教員が一致団結して目標に向かっていました。英語科もチームワークが良く、各人がさまざまな研修や自己研鑽に精を出しました。毎年夏休みになると、みんなで遠方へ旅行をして親睦・チームワークを高めたものです(写真上)。その後、横田高校の進路部長を務められた際には、私も大田高校の進路部長を務めており情報交換をしたりもしました。最後は、島根県立𠮷賀高等学校の校長を務められご退職になりました。松江北高に務めていた私はご無理を言って、非常勤で北高の現役・補習科を教えに来ていただきました。熱心にご指導をいただいたものです。体調の関係で身を引きたいと言われるのを「もう一年、もう一年」とご無理を言って木次から来ていただいていました。二年前にもう限界ということで、身を引かれました。手術後、体調は落ち着いていると言われていただけに驚きの訃報でした。

 プロ野球が好きで、根っからの横浜ベイスターズのファンでした。巨人ファンの私とは気が合いました。巨人戦横浜が劇的な勝利を収めたときなどは、興奮してお電話をしてこられるのでした。かつて私が心臓の手術で松江日赤に入院している際には、お嬢さんが日赤の看護師さんをしておられてお世話になりました。昨年私が股関節の手術を受け1ヶ月あまり入院し、退院してリハビリを始めた頃、わざわざ自宅までお見舞いに来ていただきました。

▲ALTチェルシー先生の送別会にて(後列左から3人目が太田先生)

 大田先生、逝くのが早すぎます。先般、従五位瑞宝小綬章を授章されました。島根県の貴重な人材を無くしました。残念でなりません。合掌。♠♠♠

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プラバホールこけら落とし

 約2年半をかけて耐震補強など大規模な改修工事が行われていた「松江市総合文化センタープラバホール」が、4月1日にリニューアル・オープンしました。そのリニューアルオープン事業として市民創作音楽劇「ヘルン・愛の軌跡 ~春の日に花と輝く愛の物語」が上演されましたので出かけてきました。床のカーペットが全て貼り替えられ、カーテンも新しくなりました。ホールに入ってまず目に入ったのが真新しいシート。これまでの紫色から夕暮れの宍道湖をイメージさせる「夕日色」(赤)に変わりました。座席数は744席で、座席の幅が4センチほど広くなり、ゆったりとステージを鑑賞することができます。座席プレートには松江城の伐採木が再利用されており、あるプレートには特別なマーク・うさぎなども付いているということです。 座席番号のプレートには松江の伝統工芸・八雲塗が施され、落ち着きのあるしつらえです。中四国の公共ホールでは唯一のパイプオルガンは、今回新たにパイプが85本追加され、今までにはない魅力的な音色を響かせることができるということです。 1986年の開館当時に設置されたパイプオルガンは、全てのパイプを取り外して点検、修理するオーバーホールが今回初めて、行われました。 パイプが追加されたほか、音色の記憶装置を更新。 1万通りの組み合わせで音を記憶できるようになり、演奏の幅が広がるということです。可愛い小鳥のような音色からオーケストラのような壮大な音まで響きが今までと変わっているそうですよ。

▲プラバホール入り口まで長蛇の列が!

 音楽劇「ヘルン・愛の軌跡」ヘルン(小泉八雲)の愛した松江、ヘルンを愛した松江の人々の温かい触れあいを描いた音楽劇でした。開場は午後1時半でしたが、建物の外にはもうすでに大行列ができあがっていました。満員のホールで、松江北高で英語を教えた高橋泰臣(たかはしやすおみ、東京藝術大学卒)くんが西田教頭役で出演し、歌声を響かせました。彼の舞台を見るのは昨年の9月のオペラ以来2回目です。立派な歌い手になりました。♥♥♥

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「天ぷら海鮮米福」

◎週末はグルメ情報!!今週は天ぷら海鮮

 毎週水曜日に松江北高補習科の授業を終え、米子へ移動する前に、よくここで天ぷらをいただきます。「天ぷら海鮮米福 松江店」は、地元の新鮮な魚貝類と美味しい天ぷらやにぎり寿司が堪能できる和食店です。また、松江駅改札口から徒歩1分というアクセスの良い場所(松江シャミネ内)にあります。 米油を使うヘルシーな米福ならではの自慢の天ぷらと地元食材を使った料理に豪快で新鮮な海鮮も取り揃えています。ごはん使いでも良し、飲み使いも良し!使い勝手良くどなたでも気軽にご利用いただけます。ランチにいただく「天ぷら定食」「天丼」が最高なんです(写真下)。

 個室完備なので、夜の飲み会にも最適です。今日は岡山からのお客様をお連れしてコースをいただきました。夜は二度目の利用です。米油であげる当店の天ぷらはサックサクの軽い食感が特徴。シンプルな調理で素材の味を最大限引き出します。定番のイカ、キス、ちくわなどの食材から、鰯や鱈、金目鯛も天ぷらで楽しむことができます。宴会にはお肉派!という方には、豚・牛・鶏の串焼きもありますから、お好みの一品にきっと出会えるはずです。今日は120分の飲み放題で4,000円のコースで楽しみました。♥♥♥

【コース内容】  120分飲み放題付(LO.10分前)

・新鮮鮮魚! 刺身4種盛り合せ

・生ハムと大山ブロッコリーのバターミルクサラダ

・肉厚だるま鯛の幽暗焼き

・米福自慢!天ぷら3種盛り合わせ

・特製トマトクリームソースのロゼトッポギ

・ジューシー大山鶏のあっさりゆず塩鍋

・〆のラーメン

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「知将」岡田監督

 私は子どもの頃からの熱狂的な巨人ファンですから、阪神は嫌いです。ただし、阪神の監督の岡田彰布(おかだあきのぶ)さんだけはスゴイ知将だと思っています。2023年に監督として日本一を達成するまで、サインには必ず「道一筋」と記してきました。性格は一本筋が通っています。裏表がなく、うわべで会話することはなく思慮深く、ありとあらゆるところに目があると称されるほどの観察眼を持っています。人に迷惑をかける行為、常識から外れた行動、当たり前のことを当たり前にできないことを嫌い、あいさつ、身だしなみ、物の扱い方、どこで何をしているか、鋭い洞察力で相手の本質を見抜きます。監督という立場になっても約束の時間の10分前には集合します。常に身だしなみも整え、社会人として道を外れることはありません。厳格で隙がなさそうに見えますが、義理人情に厚く優しい人です。

 細かいところまで気を配りながら采配をふるっています。今年の沖縄キャンプでこんなことがありました。三塁から本塁への走塁練習をしていた時のことです。三塁線から少し離れてリードを取る選手を見かけた時に、普段は直接指導をしない岡田監督が、身振り手振りを交えて、「ラインに近づいてリードをするよう」に注意しました。その意図は二つありました。一つは数センチでもホームへの最短距離を取らせること。さらにもう一つの理由は、「捕手の距離感を惑わすこと」だと説きます。走者がラインから離れると、三塁ベースが見え、捕手にはどれくらいリードしているか目測しやすいのです。それを少しでも分からないようにするためにはラインぎりぎりにいた方が、捕手はけん制球も投げづらくなるというのです。実に細かい。こうした細かな積み重ねがペナントを左右するというのが、指揮官の信念です。こうした教えが生きる機会はシーズンでは決して多くはないと思われますが、僅かでも勝つ確率を高めようと手を尽くす姿勢が見事ですね。

 昨年も監督就任時に、「2005年から勝っていない方が不思議だし、チャンスもあったと思う。血の入れ替えじゃなしに、小さいヒントによって勝てるチームに生まれ変わるんじゃないかと思う。そこは僕らが、ちょっと味付けをしてやらないといけない」と語り、有言実行、見事優勝を果たしました。基本的には打つことよりも守りを重視する野球でした。岡田監督が指揮官に復帰した当初は、「昔と今では野球が違う」と、データや動画解析などを用いた最新の野球理論をうたうプロの指導者の中からは、その手腕を疑問視する声も上がっていました。岡田監督は真っ向から反論しました。「ベースまでの距離も、マウンドからバッターボックスまでの距離も変わることはない。プレーの基本がちゃんとできて、そっちからのいろんな応用。だからもろいんや。データや機材だけに頼るヤツらは。崩れた時にな」 攻撃では、「打者はセンター返し」「打てないなら四球で出塁」「ボール球を振らない」。守備では「取れるアウトを確実に」「投球は両サイドの低め」「野手の送球は低く」などなど。「普通にやる」「当たり前のことを、当たり前にこなすこと」「しっかり投げて、しっかりと打ち返す」守り勝つ野球理論を極めようというのです。「普通にやればいい」。若く伸び盛りのチームに「勝ち方」を伝えるため、選手の重圧を取り除くように何度も何度も繰り返しました。岡田監督のことを最もよく知る内田雅也さん(スポーツニッポン)『知将岡田彰布』(ビジネス社、2024年)という「勝つ力」にあふれたメッセージ本を出版しました。私はラインを引きながら興味深く拝読しました。「野球の本質は昔も今も変わらんよ」というのが信念です。実に引き出しの多い監督であることを実感しました。今年はまだ本調子ではありませんが、後半は必ず阪神巨人のつばぜり合いになるだろうと予想しています。


そしてこの度、そんな岡田監督の率いる阪神タイガースの実況マガジン『阪神タイガース実況CDマガジン』(アシェット、隔週刊)の刊行が始まりました。「誰も書けなかった岡田彰布論」という表紙のタイトルに引かれてついつい買ってしまいました〔笑〕。♥♥♥

▲120号まで続くマガジン

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大学入試センターが嫌うこと

▲2月10日の私の講演資料より

 去る2月10日(土)に行われた、私のオンライン+対面講演「2025大学入学共通テストへ向けて~2024共通テスト分析から見える新課程共通テスト~」(ラーンズ)の中で、来年度の新課程の「共通テスト」を予測する上で、大学入試センターが絶対に嫌うことを述べたところ、実に面白かったというお声をたくさんの先生方からいただきました。「何をどのように学び、何ができるようになるのか」を明確にしながら、指導の狙いとする能力の育成を目指し、「主体的で・対話的で深い学び」の実現に向けた授業を改善していかなければなりません。来年の「共通テスト」がどのような出題になるのかは、「問題作成方針」「試作問題」「モニター調査」ぐらいしかヒントになるものはないので、今のところはっきりとは分からないのですが、大学入試センターが絶対に避けるであろうことは明らかです。ここにもう一度繰り返しておきますね。

 大学入試センターは、「入試問題で何が出題されたかが過度に注目され、そこから逆算するように授業が組み立てられる」ことを非常に嫌います。どんな観点でどんな問題が出題されているのかを分析して、対策に役立てるのは非常に重要なことです。どういう力を問おうとしているのかという狙いをはっきりと頭に入れた上で、今後の授業・指導の在り方を議論することも大切です。しかしそこから逆算して、小手先のあるいはテクニックで問題を解くための便法を現場が指導することは、大学入試センターは非常に嫌うんです。今までの「センター試験」「共通テスト」の歴史から、そのことを具体例で見てみることにしましょう。

 「センター試験」時代、かつては正解選択肢に非常に偏りが見られ、③や④に正解が多く見られました。受験生に少しでも英文をたくさん読ませるためにも、①や②に正解を置かないのは出題者の心理としてはよく分かります。そこで、分からない時には③か④に○をしておけ、といった予備校等の安易な指導が見られました。それに呼応するかのように、最近では①や②の正解も増えてきましたね。興味のある先生は、正解選択肢の分布を探ってみられるといいと思いますよ(こうやって疑問に思ったことは自分でデータを取ってみることは非常に大切なことです)。「正解選択肢は一番長いもの」といった対策もありました。どこから見ても絶対に本文と一致するように、また誤りの選択肢との差別化を図るためにもどうしても正解選択肢は長くなりがちな傾向が見られます。ところがこれも最近では、最も短い正解選択肢も見られるようになりました。またその昔、予備校では問題が配られたらすぐに裏返すような指導が行われました。私はその現場をこの目で実際に見ています。裏から第6問の最後の問題と選択肢が透けて見えるのです。待ち時間にそこだけでも読んでおけばそれだけ予測が深まることになりますね。笑い話のような話ですが、大学入試センターは最後に白紙を1枚挟むことで透けて見えることがなくなりました〔笑〕。狸とキツネの化かし合いといった感がありますね。「共通テスト」になり、目玉となる新傾向問題として「事実」「意見」の識別問題が出題されました。出題の意図は、正しい情報と誤った情報が混在する現在のネット社会において、正確な読解を基に客観的に情報を区別することが求められています。予備校では早速「意見」の選択肢には形容詞があるものといった対策が打たれました。本文を読まずとも選択肢を見るだけで正解が透けて見えるというのです。それに対抗するかのように、大学入試センターは全部の選択肢に形容詞を付けてきたことがありました。間違いなく意図的にやっています。本文を読まずに選択肢を見ただけで正解が分かるような問題も極力避けるように作られています。時系列に出来事を並べる問題も、起こった順番が本文に出てきた順番通りにはならないような工夫を施した問題が連続して出題されていますね。小手先ではない本物のしっかりとした英文理解が求められています。♥♥♥

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水原一平さん解雇!

 ビックリしました。「翔平の最高の相棒であり、親友」大リーグ、ドジャースは、大谷翔平選手の専属通訳を務める水原一平さんを解雇したことを明らかにしました。水原さんが違法賭博に関与したと伝え、「ロサンゼルス・タイムズ」は、水原さんが連邦捜査の対象となっている違法な「ブックメーカー」と呼ばれる賭け屋で賭けるために(スポーツベッティング)、大谷選手「巨額の窃盗被害」(Massive theft)を受けたとしています。大谷選手の口座からこのブックメーカーに対して少なくとも450万ドル、日本円でおよそ6億8,000万円が電信送金されていたとのことです。

 水原さんは、メジャーリーグで6年間大谷選手の通訳を務め、公私ともにあらゆる面でサポートを担ってきました。生活面、球場の送り迎えの運転手、キャッチボール相手、壁当てルーティンのサポート、投球やスイング強度の測定など、欠かせない練習パートナーでもありました。大谷選手からの信頼も厚く、家族同然とも言える関係を築いていました。開幕戦後のクラブハウスで、ドジャースのチームメートに対して、みずからが「ギャンブル依存症」であることを告白した上で、「すべて自分のせいだ」などと説明したということです。突然の疑惑です。一番信頼していた人物から裏切られた大谷選手のショックは計り知れないことでしょう。水原さんが周囲についたさまざまなウソが不確かな憶測を呼んでいます。

 この驚きのニュースを聞いて、私の頭に真っ先に浮かんだのは、当時作家収入ダントツのNo.1だった推理小説作家の故・西村京太郎先生がいつも色紙に書いておられた「人生は愛と友情と裏切りで成り立っている」「愛と友情と裏切りと これが人生だ」という言葉でした(写真下)。湯河原を訪問した際に、「「愛と友情」ならわかるのですが、そこに「裏切り」とある のは、トラウマのようなものがあるのか、それが作家としてのエネルギー 源になっているのではないかと。そのあたりはどうなの でしょう か?」という私の質問に答えて、西村先生「ミステリー だ からね(笑)」と答えられました。確かに、「人生は愛と友情である」と書い ても、ごくありきたりであまりインパクトはありません。西村先生のご経験 から、作品を書くときに「裏切り」を入れるということでしょうか?という質問に対しては、先生は次のようにお答えになりました。

 分の経験からです。親友が「矢島(本名)くんだけが 頼りだから」と言ってきたんですよね。そしたらそいつは全員に同じ手紙 を出していた。あれでがっくり来ちゃって、親友でもこんな ものかと。でも一人にだけ出したからって助けてくれないかもしれないから、僕だってやったかもしれ ない。そんなことがあって「裏切りで」と書きましたけれどもね。  ―日垣 隆『日本一有名な作家直撃・西村京太郎さん公開インタビュー』(2016年6月改訂版、Kindle版)

▲色紙を書く西村先生ご夫妻 先生は達筆でした!

 このお話をもうちょっと詳しく補足しておきましょうね。西村先生がいろいろと騙された経験のお話は、ジャーナリストの重田 玲(しげたれい)さんが西村先生にインタビューした『人生は愛と友情と、そして裏切りとでできている』(SUN POST、2015年)に数多く出てきます。バブルの頃に、京都東山に1億5000万円で買った家が、池の上に建っていた!(今でも持っておられます)、先生の作品を映画化したいと近寄ってきたプロデューサーを名乗る人物が、突然「あの原作はもともと私が書いたんだ」と言い出したとか、有名女優の名前を出して「よく知っているから」とか、プロデューサーの経験があるからとか、お金が絡むと、いろいろな人が先生の下に群がってきました。これが人生の現実です。

 「若いときの友達がいてね、役所時代の友だちなんだけど、彼は途中で役所を辞めちゃったんです。そして、彼から電話がきて、『友だちがいなくなっった』と。『親友は君だけだからなんとか助けてくれ』っていわれてね、お金を送ったりしていたんですよ。そしたら彼は誰にも『西村京太郎の親友だから』といっていたらしくて……」
 「お金持ちの作家さんが友だちだから、お金の都合はつくといったような…」
 「まぁ、よくある話と思ったけどね」
 「そういうときに相手を恨んだとかは?」
 「あんまり起きないね」
 「なんだか、達観されているような感じがします」
 「もともと、楽観主義だから(笑)」  (pp.112-113)

 私自身も、今までにずいぶん騙されたことがあります。J・スタインベックの短編「真珠」を苦労して訳した原稿を持ち逃げされたとか、母がお世話になった人から泣きつかれてお金を送ったら、返してもらえなかったとか(後日談があるのですが…)、教育関係者に「英語センター対策本」を大量に送っても、いくら請求してもそのまま代金を払ってもらえなかったりとか(何度もあります)、VISAカードから勝手にお金を引き出されていた等々。自宅には毎日のようにフィッシングメール(詐欺)が送りつけられます。アマゾンや銀行やネット会社やカード会社を語るものが多く届きます。この世の中にはどうやって人を騙してお金にしようかとしている輩がたくさんいるということです。人生は愛と友情と裏切りでできている」まさにその通りだなと感じます。上記のインタビュー本の帯には、騙されても裏切られても笑って許す。だけど忘れられないこともとありますね。これは、松本清張さんのことです(⇒詳しくはコチラをご覧ください)。私が、清張さんの小説や2時間ドラマを好きになれないのは、この話を読んだことも影響しているんです。

 今回話題となった「スポーツベッティング」は先進7カ国(G7)では、日本以外の全ての国で合法です。米国では連邦法「プロフェッショナル祖およびアマチュアスポーツ保護法」でネバダ州ラスベガスなど一部を除き違法とされてきましたが、2018年に最高裁が違憲判断を下し、ニュージャージー州が合法となりました。今では50州のうち38州で合法化されています。大谷選手のいるカリフォルニア州ではまだ違法なので、当局の捜査を受けているのです。

 『週刊ポスト』の記事で、水原さんの通訳としての年収は4,000万から6,000万円であると読んで驚いていたのですが、米メディアによれば年間約4,500万円~7,500万円ももらっていたといいます。これだけたくさんお金をもらっておきながら、賭博にのめりこんでしまったのでしょうか。生活費にも事欠いて家族や友人からも借金をしていたという報道もあります。水原さんはESPNのインタビューに「生活苦だった。(大谷の)ライフスタイルに合わせようと無理をしていたからだ」と回答したといいます。それが「ギャンブル依存症」に拍車をかけ、雇用主でもある大谷選手の口座から違法ブックメーカー(賭け屋)へ、多額の借金返済のために大金を送金する最悪の結果を招いてしまいました。さらに最近では、学歴詐称の問題まで出てきました。中学校3年生の英語の教科書(教育出版)に、「成功を支える人々」(Poeple Who Support Success)として大きく取り上げられるはずだった水原さんの記述も差し替えられそうです。

 大谷選手の会見後、アメリカの新聞を見ていると、日本と違って、「水原氏が大谷の口座にどのようにアクセスしたのか?」「大金が動いたのに金融機関から何の連絡も来なかったのか?」「6年も一緒にいてなぜ賭博に気づかなかったのか?」「秘密の暴露も、刺激的な告白も、謝罪があったわけでもない」「大谷が罰金を科されるとしたら、彼の評判が落ち、ワールドシリーズ制覇を目指すチームに水を差すことになる」と厳しいコメントが目立ち、日米報道の温度差を実感します。♠♠♠

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小中高生の自殺

 厚生労働省と警察庁は、2022年の自殺者数の確定値を発表しました。小・中・高生は計514人で、1980年の統計開始以降で最多となり、児童・生徒の自殺者数が初めて500人を超えました。厚労省は、長期化するコロナ禍で、学校や家庭の悩みが深刻化したことが一因と見ています。

 内訳は高校生354人(前年比40人増)、中学生143人(同5人減)、小学生17人(同6人増)。原因・動機別で見ると、学業不振や進路に関する悩みのほか、友達との不和、親子関係の不和が目立ちました。小・中・高生に大学生などを合わせた「学生・生徒」も1,063人で、過去最多でした。こども家庭庁は4月、庁内に「自殺対策室」を設置して、文部科学省や厚生労働省など関係省庁と連絡協議会を開き、対応策を協議してきました。小倉将信こども政策担当相「子ども自ら命を絶つようなことのない社会の実現に向け、ワンチームで取り組む」と話しました。6月2日、「こどもの自殺対策緊急強化プラン」を公表し、自殺の要因分析に加え、「一人一台端末タブレット」を活用した自殺リスク・異変の早期発見、多職種の専門家でつくるチームでの対応について、全国展開を目指します。

 学校生活や進路上の悩みは誰でも抱えていますが、長引くコロナ禍に伴う人間関係の希薄化で、友人らに相談できない子どもが増えているのでしょう。年代別では50歳代が最多で、40歳代、70歳代が続きました。原因・動機は健康問題が12,774人で最も多く、家庭問題4,775人、多重債務などを含む経済・生活問題4,697人、勤務問題2,968人でした。中でも昨年自殺した高校生は、過去最多の354人です(男子208人、女子146人)。学業不振、友人関係などの学校問題家庭問題が理由の多くを占めました。

 2023年の最新統計も発表になりました。自殺者数(確定値)は21,837人で、前年より44人減りました。小・中・高生自殺者数は、過去最多だった2022年の514人に次ぐ513人でした。コロナ禍以降、子どもの自殺者数が高止まりしています。その原因は、「学校問題」が最も多く261件。「健康問題」が147件。「家庭問題」が116件と続きます。学校問題の内訳は、学業不振(65件)、進路に関する悩み(53件)、学友との不和(48件)、入試に関する悩み(36件)、教師との人間関係(6件)、いじめ(1件)、性別による差別(1件)、その他(51件)でした。

 ここで「生命」について考えてみたいと思います。「生命」は決して平等ではありません。もっと長く生きていたいという強い願いを持ちながら、病気や事故や事件で思いがけず早く奪われてしまう「生命」があるかと思えば、まだまだずっと健康で長生きできるはずなのに、上の統計に見るように自ら「生命」を絶っていく若者もいます(ryuchellさん(27歳)が自ら命を絶ちました)。新聞を開けば、毎日のように殺人や死体遺棄やら凶悪犯罪のニュースであふれています。これだけ簡単に人の命がやりとりされる毎日の環境の中で暮らしていれば、人の「生命」が軽く扱われてしまうのもなんとなく分かるような気がしてきます。死をイメージすることができず、生への感謝も希薄です。

 ここに、興味深い事実があります。かつてアメリカのブッシュ政権が「湾岸戦争」を始めたときに、アメリカ国内では奇妙な現象が起こりました。「自殺者の減少」でした。日本でも、「太平洋戦争」の戦前・戦中には著しく自殺が減少しています。戦争によって、「自分の身に直接の危険が及ぶ」と感じた瞬間に、人は「生命の重み」に気づいたのでしょう。人間は安全が十分に保証された恵まれた環境の中では、自分の命さえも軽く感じてしまう生き物のようです。私が若い頃から、シンガーソングライターのさだまさしさんに強く共感するのは、「生命の尊さ」を、デビュー以来一貫して歌い続けておられることも大きな理由なんです。次の「遙かなるクリスマス」の詩をじっくりと聞いてみて下さい。♥♥♥

    遙かなるクリスマス          (作詩・作曲:さだまさし)
    
メリークリスマス 
二人のためのワインと それから君への贈り物を抱えて駅を出る
メリークリスマス 
外は雪模様気づけば ふと見知らぬ誰かが僕にそっと声をかけてくる
メリークリスマス 
振り向けば小さな箱を差し出す 助け合いの子供達に僕はポケットを探る
メリークリスマス 
携帯電話で君の弾む声に もうすぐ帰るよと告げた時のこと
メリークリスマス 
ふいに誰かの悲鳴が聞こえた 正面のスクリーン激しい爆撃を繰り返すニュース
メリークリスマス 
僕には何も関係ないことだと 言い聞かせながら無言でひたすらに歩いた

メリークリスマス 
僕達のための平和と 世の中の平和とが少しずつずれ始めている
メリークリスマス 
誰もが正義を口にするけど 二束三文の正義 十把一絡げの幸せ つまり嘘
メリークリスマス 
僕はぬくぬくと君への 愛だけで本当は十分なんだけど
メリークリスマス 
本当は気づいている今この時も 誰かがどこかで静かに命を奪われている
メリークリスマス 
独裁者が倒されたというのに 民衆が傷つけ合う平和とは一体なんだろう
メリークリスマス 
人々はもう気づいている 裸の王様に大人達は本当が言えない

メリークリスマス 
いつの間にか大人達と子供達は 平和な戦場で殺し合うようになってしまった
メリークリスマス 
尤も僕らはやがて自分の子供を 戦場に送る契約をしたのだから同じこと
メリークリスマス 
子供の瞳は大人の胸の底を 探りながらじわりじわりと壊れてゆく
メリークリスマス 
本当に君を愛している 永遠に君が幸せであれと叫ぶ
メリークリスマス 
その隣で自分の幸せばかりを 求め続けている卑劣な僕がいる
メリークリスマス 
世界中を幸せにと願う君と いえいっそ世界中が不幸ならと願う僕がいる

メリークリスマス 
僕は胸に抱えた小さな 君への贈り物について深く深く考えている
メリークリスマス 
僕は君の子供を戦場に送るために この贈り物を抱えているのだろうか
メリークリスマス 
本当に君を愛している 永遠に君が幸せであれと叫ぶ
メリークリスマス 
本当に本当に君を愛している 永遠に永遠に君が幸せであれと叫ぶ

メリークリスマス 
凍りつく涙を拭いながら
メリー メリークリスマス 
生きてくれ生きてくれ生きてくれと叫ぶ
メリークリスマス 
雪の中で雪の中で雪の中で
メリークリスマス 
白い白い白い白い雪の中で

メリークリスマス メリークリスマス…
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Kids Kards

  Richard Pinner「Kids Kards」という作品が気に入ってよく演じていました。マジシャンは彼が以前にマジックを見せた子供たちからもらった宝物を取り出します。それはなんと、幼い子供たちが描いた手書きのトランプです。しかし、それはあいにくマジックをするには適しません。そこでマジシャンがおまじないをかけると、手書きのトランプが、ちゃんと印刷された普通のトランプに変わってしまうのです。こんどはそのトランプを使って読心術を行います。最後に大切な宝物のトランプが元通りの手書きのカードに戻り、このマジックが終わります。

 現象: さて、その子供たちに描いてもらったデックを広げて、裏、表をよ~く示します。子ども心あふれる、非常に独創的なデザインです(上写真)。どこかほのぼのとした(ぐちゃぐちゃ?)絵が一枚一枚に描かれていますね。その中から1枚のカードを選 んでもらい、そのカードを手に取ります。しっかりと覚えてもらいます。そしておまじないをかけると、・・・あら不思議!手描きだった子供のカードが、裏も表も普通のデザインのカードに変化してしまっているではありませんんか。ノーマル・デザインの演じるのに適したカードに変化してしまいます。更に、そのカードだけではなく、デックをパラパラはじいてやると、手描きだったデックが全部普通のデックへと変化してしまいます。他のカードも、全てノーマルデザインに変わってしまいますが、指を鳴らすとまた、元の手描きのキッズ・カードに戻ってしまいます。裏表ともにカスタム・プリントを施し、口上と共に演じるのに最適な、大変チャーミングなカードです。  さらには第2段として、このデックを使って「読心術」を演じることもできます。このデザインの中には、不思議なカード当てが行えるよう、ある巧妙な仕掛けがプラスされているんです。デックの中から、1枚カードを覚えてもらいます。観客に頭の中でそのカードに集中して念じてもらうと、見事ズバリそれを当てることができるんです。子供向けのカードだからといって侮ることはできませんよ。当時は2,000円くらいで手に入れたと思います。このデック、スグレモノです。

 そのリチャード・ピナー(Richard Pinner)「キッズカード」(Kids Kards)は、Magic Circleの1999年「トリック・オブ・ザ・イヤー」に輝きました。心温まる演技は、今でも多くのマジシャンに愛され続けています。

 このトリック・デックがこのたび発売25周年を記念して、赤裏の新デザインになって発売されました。昔、このデックの初版をアメリカから手に入れた時に、「あれ~、スペルはKids Cardsじゃないのかな?」と疑問に思ったのを覚えています。マジシャンは、一組のデックを取り出し、以前ショーを見せてあげた子供たちが、お礼の印だと言って手描きのカード・デックを贈ってくれたのです、と説明します。とても可愛いらしいのですが、そこはしょせん子供が描いたものですから、残念ながら、イマイチパフォーマンスには不向きなのです。子どもがスペルミスしたという意味合いも込めて、タイトルは「Kids Kards」となっているわけですね〔笑〕。 

 手描きのトランプを子供たちからプレゼントされたと説明しながらデックを取り出します。一見、カードマジックが披露できないように見えます。しかし、マジックを使って通常のカードに戻せば問題ありません。観客の目の前でレギュラーデックに変化させて見せます。観客に1枚のカードを選んでもらい、心を読んで見事にいい当てます。せっかく頂いたカードなので元の手描きの状態に戻してみせます。今後も子供たちから頂いたプレゼントを大事にすると説明しながら演技を締めくくります。初心者からでも演じられる素晴らしいカードマジックです。これが「キッズカード」(Kids Kards)です!昨夜たまたまテレビをつけていてマツコ「月曜から夜更かし」で、マジシャンGOがこれと全く同じものを演じていました。安易だなー。♠♣♥♦

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ギブ・アンド・ギブ・アンド・ギブ

 かつて、ある出版社の営業責任者の方が私の自宅に講演の打ち合わせに来られた際に、「八幡先生の生き方のポリシーは何ですか?」と聞かれたので、「give and giveです」とお答えしました。今の私ならもう一歩進んで「give and give and giveです」と答えることでしょう。見返りを求めず、周りの人のために行動していると、神様は必ず見てくれていて、必ず自分に戻ってくる、というわけです。これは、私の亡くなった母の生き方に学ぶところが多かったせいかもしれません。母は実際、おせっかいなくらいに人のために行動していました。人助けです。そうすると不思議なもので、その倍くらいになって戻ってくるものなんだよ、といつも私に教えてくれたものでした。母は信仰心のあつい人だったので(日蓮宗、毎年夏になると最上稲荷奥之院」で修行していました)、神様の教えとしてそれを実践していたのかもしれません。そんな母もずいぶん人に裏切られたり、だまされたりもしたことを、子供ながらに間近に見てきましたが、母は気にすることもなくそのような生き方を生涯貫き通していました。やはりそのDNAもあり、影響を受けているのでしょうね。見返りを求めずに人のために動いていると、自分自身も多くの人に助けてもらっているのです。

 学校では生徒たちには、「人が先、成績は後」と言っています。点を取ればあとは何をしてもよし、では困ります。人の道にはずれるようなことを平気でする生徒がいます。礼儀の全くかけらもない生徒もいます。点数のためならどんな汚い手を使ってもOKという生徒がいます。約束を平気で破る生徒がいます。提出物の締め切りを平気で破る生徒もいます。掃除時間中に単語集片手に英単語の勉強をしている生徒がいます。努力・準備も全くせずに楽をして「富士山に登ろう」としている生徒も目立つようになりました。こういった人たちには、きちんと「人の道」を教えてあげないといけません。大人になってから困ります。そんな気持ちでずっと教えてきました。私が大好きなクロネコヤマト小倉昌男社長は、「サービスが先、利益は後」と喝破されました(理由:良いサービスを提供すればお客様に喜んでいただける。お客様に喜んでいただければ荷物が増える。荷物が増えると、エリア当たりの荷物の個数が増えて密度化が進む。密度化が進むと生産性が上昇し、自然に利益が出る。とにかく良いサービスを提供することが肝要だ)。お客様のための数限りない改革を、この精神で貫き通した人です。本当に大成功をおさめられましたね(ただ最近のクロネコ宅急便に関しては、少しサービスの低下が疑問視されます)。

 経営コンサルタントの故・船井幸雄(ふないゆきお)さんと、将棋の羽生善治(はぶよしはる、現将棋連盟会長)さんの対談集で、船井さんがこんなことを言っておられるのを読んだことがあります。

 ツキをつけるもうひとつの効果的な方法は、実は「与え好き」(ギブ&ギブ)になることです。与え好きになると、一見損をするように思えるのですが、不思議とツキはすぐにやってきます。私にはじめて「与え好き」が良いことであると教えてくれたのは、私の家内でした。私自身は、家内と結婚する以前はどちらかというと、与えるよりも、もらうほうが好きでした。結婚当初は家族が食べていくだけでもやっとの生活だったのです。それなのに、「差し上げ好き」の家内の行動に、私はいささかショックを受けました。しかし、しばらくたつと、その行動は意味のないことではないようだと気がつきました。「差し上げ好き」は、一見損をするように思えますが、間違いなくその何倍ものお返しが来るのに気づいたのです。たいていの人は、もらうことは好きでも、あげることはしたがりません。そのため、何かをいただいた場合は、自然とそれをくれた人に好意を持つようです。その行為自体に、エゴがなく、見返りを期待しない場合は、なおさらうれしく感じるものです。少し長い目で見ると、「与え好き」になると、あげたものが何倍にもなって返ってきます。これは金品だけに限らず、親切や恩情など、どんなものでも見返りを期待せずに与えることで、何倍にもなって返ってくるようです。「類は友を呼ぶ」というように、自分のまわりには自分と似た人が集まってきます。若いうちは与えるよりも、もらうほうが好きだというのも、多少はいいかもしれません。しかし、いつまでたっても、「テイク&テイク」の気持ちでは、まわりにツキのある人はいなくなってしまうでしょう。一緒にいて居心地の良い「ギブ&ギブ」の精神を持つ人と一緒に過ごすには、まずは自分から「与え好き」になることが、一番の方法のようです。  ―船井幸雄・羽生善治『人間力』(ビジネス社)

 400冊以上の著書のある「経営の神様」と称されたカリスマ・船井幸雄さんの言葉だけに重みがありますね。私は尊敬する鍵山秀三郎先生(イエローハット創業者)から、人間の幸せには三つあることを伺いました。一つ目の幸せは「してもらう幸せ、二つ目は自分で「できる幸せ、最後の三つ目は、人に「してあげる幸せ」で、相手の喜びを我が喜びとする、三つの中でも最高の幸せです。してもらう幸せ」から「できる幸せ」へと進んで、そして「してあげる幸せ」を味わえる人生をおくりなさい、という教えでした。経営の極意も「ギブ」の連続だといいます。普通の人は「お客さんにもっと来て欲しい」「もっと買って欲しい」「もっと儲けたい」といった具合に「もっと、もっと……」と「テイク」の連続を望んでしまい、実際にそのような言葉を口にしているのでうまくいかないのです。これは「テイク・アンド・テイク」の世界です。反対に、「どうぞ、ごゆっくりと過ごして下さい」「どうぞ、ごゆっくりお試し下さい」「どうぞ、お気に召さなければ、いつでもご返却下さい」「どうぞ、好きなだけ持っていって下さい」「どうぞ、ご遠慮なく召し上がり下さい」と「ギブ・アンド・ギブ」の接点を持つことで、経営も人生も楽しいものになってきます。

 先日も、2日連続で知り合いにごちそうをしたところ、家に帰ると思いもかけぬ所(野村證券)から、その何倍ものお金が振り込まれていました。本当に不思議ですね。何の見返りも期待せずに人に尽くしておくと、きっと思いもかけずいいことが帰って来ます。かつて、博多で開催された研究会のお土産に、私が島根県立松江北高等学校で作った英語指導資料(約350本)を全部収録したデータCD 集「英語は絶対に裏切らない!」(写真下)を無料で配布しました((株)ラーンズが、この研究会のためだけに作ってくれた貴重なものです)。たくさんの先生が喜んでくださって、当日のアンケートや、帰りましてからもメールで、お礼の言葉をたくさん頂戴しました:とても貴重な国宝級の資料、ありがとうございます」「先生のこれまで蓄えてこられた資料、情報をたくさんいただき本当に感謝です。是非有効に活用させていただきたいと思います」「お土産の資料は本当にすばらしく無料で本当にいいのかなという内容です」「先生の資料もたくさん頂け、自分の研究の成果を他にも無償で提供される先生の姿勢に感動しています」今でもこれらの先生方と仲よくさせてもらっています。

▲講演会に参加された先生方に無料で配付された指導資料集CD

 私の生き方の大きな支柱となっているものに、「たらいの法則」があります。 水を張った「たらい」で、自分の方に水を寄せようとすると、 返って反対側に行ってしまうでしょ。逆に自分の反対側に水をやると、しばらくすると自分のほうに返ってくる。同じように、「自分が、自分が」という気持ちが強いと、逆にあまり自分は得をしない。相手にただ奉仕をする気持ちになると、巡り巡って自分のためになる、 というものです。これは私の大好きな経営者・稲盛和夫(いなもりかずお)さんの「利他の心」の実践版ですね。

 おまえ、ここに水が入ったたらいがあるだろう。両手でその水を自分の方へ左右から送ってごらん。水は初め、自分のところに集まるけれど、すぐに自分の手元から離れていく。反対に、水を左右に送ってみなさい。水はおのずと自分の方へ集まってくるだろう。自分の幸せばかり考えているとな、その人の幸せはどこかへ行ってしまうのだよ。だから人が喜ぶようなことを、無理せず、少しずつ積み重ねていくことがとても大切なんだな。これを「損して得取れ」と言います。

 たらいに大きな水を張る。手前から人差し指一本で水を向こうに押しやる。水の波紋は途中で消えてしまう。それでも、ただひたすら押し続ける。やがて、波紋は大きくなり反対側の壁にぶつかって自分に返ってくる。与えて、与えて、それでも与え続けること。それはすべて自分のためになる…。そんな生き方をしなさい。

 こんなところから、私の人生哲学である“Give  and give and give”は生まれたのでした。♥♥♥

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「唐崎商店松江店」オープン

◎週末はグルメ情報!!今週は味噌ラーメン 

   「唐崎商店松江店」が3月25日にオープンしました。場所は、松江市東津田町の「中華蕎麦 奨 津田店(社中ダイニング)」(2023年9月20日閉店)のあった所です。ここには三刀屋の「ドンシュー」が入っていて何回かお邪魔しています。オープン3日目に行ってきました。開店11時の5分前に行ったのですが、もう行列ができていました。お店に入ってからもどんどんお客さんが入ってこられます。お店を出る時には店内で待つ人、お店の外で行列する人、すごい人気です。

 カウンター席とテーブル席と座敷があります。カウンター席に案内されました。注文は最近の店舗らしくタブレットからです。「北海道味噌炙りチャーシュー」「半チャーハン」を頼みました。初めて米子のお店に連れて行ってもらった時に、めちゃ美味しかったのでもう一度食べたかったんです。米子のお店に2回、出雲に1回行ったことがあります。そこで3種類の味噌を試してみたんですが、結論的には私のお気に入りは北海道味噌です。

 古くから佐渡や新潟との交流が盛んだったせいか、佐渡みそに近い赤色系の濃口味噌が代表的な味噌です。塩分濃度が高く、辛さを感じやすい味噌です。ひき肉やもやし、北海道をイメージするフライドポテトがトッピングされています。濃厚かつ塩の辛みとコクが味わえる濃口のスープで、塩気と味噌の旨味のバランスがとれた味わいは時間をかけて熟成されているような印象です。昔から現代までずっと、貴重な食材として重宝されてきた味噌。「味噌は医者要らず」とまで云われたそのヒミツを紹介しますが、いずれも大豆を使う点では共通しています。ここがポイント!大豆が大活躍しているのです。大豆自体が、タンパク質や脂質、糖分、ビタミン、ミネラルなどの栄養素を豊富に含んでいます。その大豆を味噌にするには発酵熟成させることが必要です。この発酵熟成も「味噌が体に効く」ポイントになります。発酵熟成作業の途中に微生物の働きが加わり、栄養素が体に消化吸収しやすい形に変わるのです。
そして栄養価も高くなるというわけです。

 1センチ程の厚みのある豚バラ巻きチャーシューが3枚。炙ってあり周りに付いてる味噌ダレが香ばしく、肉質も弾力と柔らかさがあり美味しい焼き豚です。脂っこくもなく、ここは満足です。スープは濃厚で香りが良いです。豚鶏のスープに北海道の赤味噌を合わせているのでしょう。一緒に炒めてある野菜や挽肉から味が染み出て、チャーシューやフライドオニオンから香ばしさがプラスされ美味しいです。麺は幅3ミリ厚さ2ミリの黄色い縮れのサッポロ味噌ラーメンの定番のものです。フライドポテトもスープに合う美味しさ。全体的に美味しくいただきました。「半チャーハン」もまずまず。♥♥♥

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オドーア電撃退団!

 開幕を3日前に控えた中での衝撃の発表でした。巨人は、助っ人新外国人のルーグネッド・オドーア内野手(30歳)が退団すると発表したのです。阿部慎之助監督(45歳)が、不調の彼を開幕1軍のメンバーから外し2軍で調整させる構想を伝えたところ、拒否して米国へ戻りたいと申し出があったと言います。 「彼(オドーア)の中では2軍に落ちて調整するのは受け入れられないと。何度も説明を続けましたが、結局、彼の気持ちは変わらず、退団を申し入れてきた。球団も受け入れました」「最初の開幕のメンバーには入れないけれども、しっかりとファームの方で調整して、コンディションを上げてくれと話し合ったんですけど、彼の中ではとにかく『2軍、ファームに落ちて調整するというのは受け入れられない』ということになりました。1番最初のところは、監督の口から彼に対して伝えられた。何度も説明しながら、話し合いを続けてきたが、結局彼の気持ちは変わらず、退団を申し入れてきたと。それを球団も受け入れました」と、説明しました。「全て1軍で試合に出す確約はなかった。監督の言葉に異議を唱えることはできないという話は契約上にはあった」と説明。実力主義はオドーアも承知していたはずでしたが…。

 ベネズエラ出身の左打者はメジャー通算178本塁打の輝かしい実績を引っさげて加入しました。ところがオープン戦では34打数6安打(うち3本はボテボテの内野安打でした)の低打率・176、0本塁打。0打点。2022年まで8年連続で2ケタ本塁打を記録しており、巨人の補強の目玉として推定年俸2億円で入団した長打力を期待された助っ人選手でした。しかし、オープン戦では全然調子が上がりませんでした。若手外野手が次々とアピールを続ける中、低調に終わったのです。さらには2回もけん制でアウトになるチョンボも犯しました(去年もそんな選手がいましたね)。

ルーグネッド・オドーア(Rougned Odor) 1994年2月3日生まれ、30歳。ベネズエラ出身。2011年レンジャーズ入団。14年にメジャーデビュー。16年にブルージェイズのバティスタとの大乱闘で注目を集めた。レンジャーズ時代に30本塁打以上を3度記録。ヤンキース、オリオールズを経て昨季はパドレスでプレーし、出場59試合で打率・203、4本塁打、18打点。今年1月、年俸2億円で巨人に入団した。メジャー通算成績は1154試合で打率・230、178本塁打、568打点。180センチ、90キロ。右投げ左打ち。

 メジャー研究家の友成那智さんは、「巨人ファンにとっては残念な話ですが、日本野球とは最も合わないタイプの選手だと思います」と言います。 「どんなボールでも手を出すバッターのことを“フリースインガー(free-swinger)”と呼びます。オドーア選手が、まさにそうです。低目を得意にしており、普通のバッターなら難しい球でもホームランを放つところは魅力的です。しかし、どんな球でも振ってしまうので、四球が少なく三振が多い。結果として出塁率は低くなります。日本の投手は制球力があり、緩急を交えるのも得意ですから、翻弄されてしまうかもしれません」身体能力は抜群ですから、セカンドで物凄いファインプレーを見せたことは何度もあります。ところが、エラーも多い。それもサインプレーといった複雑な場面でミスをするのではなく、普通の打球なのに処理を誤ったりします。巨人が外野手として登録したからといって、オドーアは内外野のどこでも守れる、いわゆるユーティリティープレイヤーというタイプではありません。多分、セカンドの守備が不安なので、外野にコンバートしたのではないでしょうか。オドーアは2017年、レンジャーズと6年総額4950万ドル、当時の為替レートで約55億3,400万円、現在のレートだと73億円の契約を結んでいます。オドーア選手は金持ちなのです。今年、MLBの契約更改は、異常なほど進んでいません。腕利きの代理人と契約を結んでいても、行き先が決まっていない大物選手が少なくありません。多分、オドーア選手は、MLBでの契約がなかなか決まらないことに痺れを切らし、巨人のオファーを快諾したのでしょう。ですから、彼にハングリー精神はありません。日本で活躍しなければメシが食えないという選手ではないのです。」 結局、MLB通算178本塁打の輝かしい実績を誇った男の実力は未知数のまま、文字通り「幻」に終わりました。推定年俸2億円で獲得した助っ人はシーズン本番の舞台に立つまでもなく帰国の途に就くこととなりました。

 ただ、オドーアに対しては、かねてきな臭い話も出回っていました。それが本人の経歴を巡る“詐称疑惑”です。NPB球団のある編成担当者は「そもそも年齢からして怪しかった。公称では今年が30歳となっているけど『あれは絶対に36歳か37歳くらいだ』とも言われていました。オドーアを調査していた球団は複数ありましたが、そうした点から『怖くて獲れない。ピークは過ぎているんじゃないか?』と手を引いた球団もあったと聞いている」と声を潜めました。このご時世に年齢詐称などあり得るのか。MLBスカウトの1人は「オドーアの出身地のベネズエラでは、戸籍そのものがしっかりしていないこともあり、こうしたケースはまれに起きる。だからこそ、しっかりと調査しないといけない」と言います。さらに、別の球界関係者も「DeNAで監督も務めたアレックス・ラミレスもベネズエラ出身で、年齢不詳とされていたでしょ? それと同じ」と同調しました。年齢を偽っていようがいまいが、オドーアはプレーすらせずにチームを去ります。新任の阿部監督がいよいよ船出する3日前に起きた悲劇。ショックをどう乗り越えるのか、指揮官の手腕とチームの結束が試されます。今季加入した新助っ人の中で、唯一の野手が開幕前にいなくなってしまったのですから衝撃的です。しかし、関係者はみんなスッキリしているんじゃないでしょうか。仮に開幕二軍に本人が納得したとしても、そのまま二軍に置いておけたかどうか、年俸2億円のメジャーの大物ですから、本人のプライドもあるだろうし、どうしたってある程度は一軍で使わざるを得ません。阿部監督の足かせになるところでした。空いた右翼には、オープン戦好調の松原や状態のいいベテラン梶谷を入れられます。かえって良かったというのが大部分の声でしょう。阿部監督はチーム内に配布した「監督指針」の1番目に「勝利のために自己犠牲ができる選手を起用する」と記しています。ネット上では「勝負に徹した姿勢は共感できる」「若手の外野メンバーはやる気を出すと思う」などと歓迎の声が多く聞かれます。たとえ大物助っ人だろうが、自身の方針を曲げなかったことも、チームにプラスに働くかもしれませんね。実際外野手は調子のいい選手がいくらでもおり、大激戦区でした。佐々木、丸、松原、梶谷、長野、オコエ、秋広、萩尾、浅野、重信選手らには、大きなチャンスが巡ってきました。今年の45歳の指揮官・阿部新監督は、選手やコーチ、スタッフ全員に配った小冊子にこう記しています。「勝利のために自己犠牲ができる選手を起用する」「成績だけの昇降格はしない」「結果が大事だがプロセスを重視する」「トライアル&エラー 失敗から学ぶ」「チーム内競争を促す」さらに「素直さ、謙虚さ、継続力、献身性、思考力」という五つのスキルを重視するとしました。

 私はこの衝撃の退団は、逆にチームには好影響を残すと思っています。まず第一に、助っ人の開幕直前の離脱という危機的状況に、チームの結束が強固になりはしないか?阿部新監督の下で、チームの結束が強固になる機会となりそうです。昨オフに原辰徳前監督からバトンを受けた阿部監督は、就任直後から「競争」という言葉を何度も使い続けてきました。言葉通りにキャンプからオープン戦を通じて、結果を残せなかった選手は、容赦なくファームで再調整を命じてきました。つい先日も秋広優人内野手の開幕二軍を明言し、「ここからは結果を見ていくよ、と言った中で結果を出せなかったからね。それだけですよ」と語っていました。その点で、オドーアの二軍降格も当然のことと言えましょう。オープン戦で結果を残せていないということだけでなく、二度も牽制に引っかかってアウトになる凡プレーもありました。いくらメジャーでそれなりに実績のあるとはいえ、例外とせずに求めてきた方針通りのプレーができなければ一軍に置かないのは当然でしょう。結果として開幕直前の退団という異例の事態を招きましたが、この決断で選手たちは監督の言葉の絶対的な重さを感じたはずです。今年の巨人のポジション争いは例外のないガチンコ競争となることを選手たちが改めて肌で実感したはずです。チームに1本の芯を通すきっかけになりました

 さらに、若手起用に拍車がかかり、戦力面でのアップにつながりそうです。もしオドーアを一軍に残せば、おそらく最低でも開幕から1、2カードは使わなければいけません。ただ今季の巨人の外野のポジション争いは、激しく、若手の台頭が顕著です。オドーアという大きな石が無くなったことで、若手選手を使うチャンスが開幕から増えるのは確実と思われます。外野の控えにはキャンプからオープン戦と復活をアピール、オープン戦で打率3割2分をマークした松原聖弥外野手がいます。また貴重な右の外野手としてソフトバンク戦では1号2ランを放つなど実戦力を見せた萩尾匡也外野手もいます。そして腰痛でキャンプはリハビリ組スタート、阿部監督に「開幕一軍は考えていない」と言われながらも、ギリギリで這い上がってきた浅野翔吾外野手も控えています。阪神との開幕初戦では、早速代わりにライトに入った梶谷選手の、大飛球を好捕するビッグプレイと2ランホームランで快勝しました(残念ながらまたケガで登録抹消)。第2戦では松原選手がダメ押しのタイムリーヒットを放っています。助っ人がいなくても全然大丈夫です。今ではチーム練習中のふとした瞬間に「オドーア!オドーア!」と連呼してナインの笑いを誘うなど、単語そのものが一種のキラーワードとなっている様子だと言います。「お騒がせ助っ人事件」が今では「笑い話」に昇華しているようです。ソフトバンクに放出したウォーカー選手が大活躍しているのは、巨人の外国人選手のいつものパターンです。♥♥♥

【追記】  滑り出しは絶好調な巨人でしたが、現在3連敗。いずれもミスからの自滅でした。誰一人送りバントができない。せっかく挟んでも挟殺プレーができない。暴投やパスボール、四球を連発してはとどめを刺される(メンデス投手は即刻二軍送りとなりました)。普通のことができずに、ミスを繰り返していれば「野球の神様」が怒るのは当然のことです。「当たり前のことを当たり前にできる」チームが勝つのです。救いは先発ピッチャー陣が安定していることでしょうか。3連敗の後の菅野投手は流石で、悪い流れを止めてくれました。この試合はきちんと全員が送りバントを決めました。するとちゃんとタイムリーヒットが出るのです。

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「お待ちしておりました」

 「お待ちしておりました」を私の教えている高校生・浪人生に書かせてみると、かなり英語のできる人でも、I/We have been waiting for you.と書く人が多いんです。この英語の問題点に気づく人はほとんどいません。AIツールの自動翻訳システムDeepLでもこの英語が示されます。日本人の英語表現に関する多くの著書のあるT・D・ミントン(T.D.Minton)慶應義塾大学教授(英国ケンブリッジ大学卒)が、来日して初めて日本人のお宅に招かれた時、玄関で出迎えてくださった人が、We have been waiting for you.とおっしゃられて、ちょっとビックリして心臓がドキッとした、と思い出を書いておられました。この日本人は間違いなく「お待ちしておりました」と歓迎の言葉として発しておられたと思いますが、この英語はネイティブスピーカーにとっては全く別の意味合いを持つのです。「約束の時間きっかりに着くように、近くで時間をつぶしたりもして伺ったのに、なぜこんな言われ方をするのだろう?この国では約束の時間より早く来るのがしきたりなのかな?」と、来日して間もなかったミントン先生は疑問に思われたのでした。

 英語のwaitは、日本語の「待つ」とは違って、「待ち望む」という意味はなく、むしろ「時間のムダ」という意味のほうが強い語なのです。誰かを待っている時は、そわそわして何も手につかず、相手が来るまではしたいこともできません。英語のwaitには、そうした手持ち無沙汰の状態を強く感じるのです。

Shall we wait for him, or shall we start without him? 彼が来るまで待ちますか、それとも始めましょうか。

Let’s wait 10 minutes and then start if he isn’t here by then.  10分待って彼が来なかったら始めましょう。

 wait「人を待つ」=「時間の浪費」という意味が込められているのです。したがってI have been waiting for you.と言うと、遅れてきた相手をたしなめる言い方になってしまうのです(「待たされて迷惑しました」)。こういう言い方は失礼になりますね(「遅かったですね」と嫌みを言いたいのなら話は別ですが)。

 それではどう言ったらいいのでしょう。We have been expecting you.ならどうでしょう?この英語もDeepLに出てきますが、好ましくはありません。expect someone というのは「相手が間もなく来ると思っている」という意味です。あなたはすでに相手を招待して相手も承諾しているのですから、約束の時間に相手がやって来るのは当たり前のことです。その相手に向かって、We’ve been expecting you.などと言うのは、当たり前すぎてかえって野暮に聞こえてしまいます。自明なことはあえて言わないのが教養のある人のマナーなのです。

 したがって、 Hello, welcome to our home. We’ve been looking forward to seeing you.(こんにちわ。我が家へようこそ。お会いするのを楽しみにしておりました)/Hello. Thank you very much for coming all this way. It’s been good to see you.(こんにちわ。遠路お越しいただいてありがとうございます。お目にかかれてうれしいです)などがよいでしょう。単語本来の意味合いにもっと敏感にならねばなりません。♥♥♥

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バットとボールの値段

 「すべての経済的意思決定が厳密に合理的であるとは限らない」という理論を提唱した心理学者・行動経済学者のプリンストン大学・ダニエル・カーネマン名誉教授が、2024年3月27日に90歳で亡くなりました。ダニエル・カーネマンは、2002年に「ノーベル経済学賞」を受賞しました。当時のアメリカ心理学会は「心理学が科学と認められた」といったプレスリリースをしています。彼が証明した意思決定にかかわるバイアス(先入観や偏見)は、「愚かな人間の問題」ではなく「普通の人間の性向」であることが公に認められたのです。人間の知的活動には「ファスト」(直感)「スロー」(熟慮)があるとします。「ファスト」は、直感や経験に基づいて、日常生活で大半の判断を下しています。例えば物の距離感や音の方角の感知など、自動車の運転をする際に働くものです。「スロー」は、発動には集中力が必要とされます。例えば、たくさんの文字の中から必要な情報だけを抜き出す、聞こえてきた言葉が何語かを聞き分ける、といった働きです。合理的で「考える葦(あし)」のはずの人の意思決定の大半は実は「ファスト」に委ねられています。その方がエネルギーを使わず効率的なだけでなく、「おおむね正しい」のです。が「時には決定的に間違っている」のです。その間違いを「スロー」がチェックできればいいのですが、人間の注意力は有限なので簡単になくなってしまうのです。カーネマンはそれを揶揄して「スローは怠け者だ」と言います。

 「ファスト」でも専門家が長年の訓練と経験で得た「直感」は別です。ただし、専門的直感が意味を持つのは一定の規則性のある事象に限られ、株などの予測ではあまり役に立ちません。将棋の藤井聡太八冠の鋭い直感を考えてみるといいでしょう。直感の間違いは気づきにくいものです。例えば次のような有名な問題を考えてください。

 バットとボールは合わせて1ドル10セントで、バットはボールより1ドル高い。ではボールはいくらでしょう?

 当然10セントだ!とひらめいた方、残念ながら間違っています。なんとなく直感でいくとそうなるのですが、だとすれば1ドル高いバットは1ドル10セントで合計1ドル20セントになるからです。「こんな簡単な問題、何言っているの?」と思うかもしれません。しかし実際の調査ではハーバード大学、マサチューセッツ工科大学、プリンストン大学という超エリート大学の学生の50%以上が直感的な答えを出した、つまり間違ったというのです。

簡単な問題でも、間違ってしまうことがある(写真/Shutterstock)

 何が問題かと言えば、ちょっと検算すればすぐ間違いだと分かるのにしないという事実です。「スロー」を少しだけ発動させればよいのですが、「簡単」と思う問題に対して私たちはそれをしないで「ファスト」に任せることが多いのです。そして、間違っていることにも気づかないのです。

 こうして心理学の視点から実験と研究を進め、確立したのが行動経済学です。当初経済学界では異端扱いされました。なぜ10万円失うと、10万円を得る喜びの2倍の苦痛を感じるのか?「人間は合理的で理にかなった判断をする」という経済学の前提では説明できません。心理や感情を経済分析に応用した成果は高く評価されるようになり、経済学の考え方を大きく変えることになります。

 もう少し例を見てみましょう。以下の2つのりんごジュースなら、どちらを選びますか?

A. パッケージに「果汁90%以上」と書かれた商品
B.「添加物10%以下」と書かれた商品

 どちらも言っていることは同じです。しかし、多くの人が速い思考の段階でAの商品を選ぶのではないでしょうか。というのも、一般的に「果汁はいいもの」「添加物は悪いもの」という刷り込みがあるため、字面の印象だけで直感的にAを選びがちになるからです。これは「フレーミング効果」と呼ばれ、宣伝広告ではおなじみのテクニックですね。

 アウトレットモールなどに行くと、「商品70%off!」などという大幅な値引き札が付いていますよね。例えば元値が2万円の靴が70%offなら6,000円。その視覚的な印象だけで得をしたような気になって、ついつい予算オーバーの買い物をしてしまった経験はありませんか?これは「アンカリング効果」と呼ばれ、元々の基準(アンカー)になる数字を示した上で、それより上や下の数字を提示すると、印象をコントロールしやすくなるというトリックです。これに踊らされないためには、遅い思考を働かせて、「本当に値段に見合うクオリティか」「お得感を抜きにしても商品を魅力的に感じるか」どうかを吟味する必要があります。♥♥♥

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特急「やくも」新型車両公開

 JR西日本は10月17日、2024年春から順次切り替わっていく特急「やくも」岡山~出雲市、220km)に投入する新型車両「273系」を、報道陣に公開しました。国内初という「車上型の制御付自然振り子方式」を開発・実用化し、「特急はくも」「ぐったりやくも」などと揶揄されて、今まで悪評の高かった乗り心地を向上させました。現在の381系電車は、伯備線が電化された1982年から使用されており、約40年ぶりのリニューアルとなります。楽しみです。コロナ禍前の2019年には、1日約4,000人の乗客を運んでいました。現在は4種類の歴代特急「やくも」が走っています。通常の「ゆったりやくも」、紫色を基調とした「スーパーやくも色」(1994~2008年)、クリーム色と赤のツートンカラーの「国鉄色やくも」(1982~1998年)、緑色と黄色の帯が特徴の「緑やくも色」(1977~2011年)の4種です。「スーパ-やくも色」は4月5日に運行を終了します。「国鉄色」「緑やくも」は6月末に運行を終了します。非リバイバル塗装「ゆったりやくも色」の車両については、運行終了時期は未定で、273系に置き換わった後も運行する場合があるとしています。

 『鉄道ジャーナル』(成美堂)『鉄道ファン』(交友社)の1月号(2024年)がこの車両の特集を組んでいますので、ご紹介してみたいと思います。

特急「やくも」用の新型車両「273系」

 車両のデザインは、イチバンセン代表の川西康之さんと、近畿車輛デザイン室が担当しました。川西さんは、同社の「WEST EXPRESS 銀河」や、2024年に投入するキハ189系改造の観光列車なども手がけたデザイナーです。273系が走るエリアの社員の意見も反映しつつ、この車両のデザインを考案したといいます。デザインのコンセプトは、「沿線の風景に響き自然に映える車体、山陰の我が家のようにくつろげる温もりのある車内」。外観は、「山陰や伯備線の風景に響き、自然に映える車体」を目指し、大山に昇る朝日や宍道湖に沈む夕日の「鬱金(うこん)色」、奥出雲たたら製鉄の「黄金(こがね)色」、大山夏山開き祭の松明行列を表す「銅(あかがね)色」、山陰地方の風物でもある石州瓦の「赤銅(しゃくどう)色」のグラデーションからなるイメージカラーの「やくもブロンズ」が採用されました。「沿線の自然・景観・文化・歴史を尊び、お客様と交感する色」と説明しています。塗装はメタリック風味で、JR西日本の社員は「晴れの日や曇りの日、雪の日で、印象が大きく変わりそう」と話していました。山陰らしさや伯備線の沿線らしさを演出し、一目で山陰に行く列車だと分かるデザインとしました。

 前面・側面に「やくも」のロゴと「モダンに八雲立つ、伝統を継承」したアイボリーのシンボルマークを配置しています。室内のコンセプトは、「山陰の我が家のようにくつろげる温もりのある車内」。LEDによる間接照明や、ダーク系の木目調の床模様により、暖かみが演出されており、従来の「やくも」よりも大幅にアップデートされた空間となりました。グリーン車は、2+1列で座席を配置。座面に赤銅色、背もたれにうこん色を用いて、明るく空間の広がりを感じられ、富と長寿の象徴とされる亀の甲羅をイメージした「積石亀甲」(つみいしきっこう)模様をデザインしたシートとなっています。「積石亀甲」とは、沿線の亀にまつわる伝説(米子市の亀甲神社など)や地名(亀嵩)にちなみ、富と長寿の象徴とされる亀の甲羅をモチーフとしています。六角形と正三角形を重ね合わせたもので、床の絨毯も共通の柄を拡大して使用しています。足下にフットレストを設置したほか、枕は可動式で、快適性に配慮。また、肘掛けには電源コンセントが設置されました。

1号車のグリーン車肘掛けにはコンセントを設置

 肘掛けにはコンセントを設置。普通車では、緑と青の背もたれを隣り合わせで千鳥状に配し、麻の葉柄をあしらっています。沿線の山々をイメージした緑色をベースに、古来から神事に用いられ、人を守る魔除けの意味がある「麻の葉」の模様をあしらったシートを2+2列で配置。神話の国を走る「やくも」沿線の自然と風土をイメージしています。こちらも、可動式枕やコンセントが設置されています。座席の間隔(シートピッチ)は1040mmと、新幹線と同等の数値に拡大しており、在来線特急用車両の普通車としては、最大級の間隔となり座り心地を改善しています。普通車とグリーン車の座席には、上下調整可能なヘッドレストが付き、リクライニングと連動しています。リクラインイングは背面の傾きに連動して座面が前後に動き、楽な姿勢を保てる「チルト機構」が搭載されています。

2~4号車の普通車車内

 こちらも両サイドの肘掛けにソフトパッドが付き、電源コンセントが設置されています。また、これまでの「やくも」に無かった設備として、グループ向けの座席「セミコンパートメント」が導入されました。4人掛けと2人掛けの計4席が用意され、緩やかな仕切りを設けることでグループでも使いやすい形にこだわっています。車内Wi-Fiも導入。車いすスペースも拡大し、多目的室や大型荷物置き場、フリースペースやユーティリティスペースを設置、バリアフリーや利便性も考慮し、車椅子のまま利用可能なトイレなど、幅広い利用層を意識して設備の充実を図っています。LED照明等による省エネ化に加え、よりエネルギー変換効率に優れたVVVF制御装置も搭載し、環境負担の軽減も図っています。

1号車の連結面寄りに設置された「セミコンパートメント」

 1号車の連結面寄りに設置された「セミコンパートメント」は、グリーン車と同じ1号車の半室に設置するもの。2人用と4人用のボックス席で、大型テーブルや簡易的な仕切りが設置されています。また、座面をスライドさせると、フラットなスペースに生まれ変わります。

 座面をフラットにした状態このセミコンパートメントは、普通車指定席と同額で利用できるということです。2人用は2人利用、4人用は3~4人利用時に限り、きっぷを購入できます。各コンパートメントには「11」「12」といった番号のみが振られており、「A席」「B席」といった座席位置の英字は使用されていません。このほか、バリアフリー対応や、空気清浄機の設置による快適性向上、防犯カメラ設置による車内安全性の向上など、近年の鉄道車両らしいアップデートも図られています。側面の表示器は、フルカラーLEDを採用。その他車体構造の強化と機器の二重系化による安全性・安定性の向上、車内防犯カメラの設置による車内セキュリティ向上、空気清浄機の搭載と抗菌・抗ウィルス加工による安心した車内環境作りにも努めます。

 振り子式とは、カーブで車体を傾けて走ることで、遠心力を打ち消し、乗り心地を改善させるもの。自転車に乗る際、曲がる際に体を傾けるのと、原理的には同じです。これにより、一般車両よりも速度を上げても乗り心地の悪化を抑えられるため、速度向上が可能となるのです。従来の381系では、振り子式車両の黎明期であったため、遠心力のみで車両の傾斜を制御する「自然振り子式」が採用されていたので、乗り物酔いしやすいと言われていました。当初から揺れがひどく、これまでは「本を読もうと開いたが、酔いそうで、ずっと目をつぶって寝ていた」「弁当を食べていたら気持ち悪くなった」と悪評の高かった「やくも」。洗面所には「ご気分の悪いときにご利用下さい」と書かれた「エチケット袋」が備え付けてありました。これに対し、近年の振り子式車両では、遠心力を用いつつも、アクチュエーターにより事前に傾斜を制御させる、「制御付自然振り子方式」が採用されてきました。273系では、さらに一歩進んだ形で、「車上型の制御付自然振り子方式」という、国内初の最新方式が採用されています。

 これまでのシステムでは、ATS(自動列車停止装置)用の地上子などをもとに、位置情報を検知・補正し、車体を傾斜させるタイミングを計っていました。しかしこの方法では、車輪の空転などで距離が正確でなくなった場合、その後の地上子による位置補正が正確に働かなくなるおそれがあったといいます。加えて、地上設備である地上子は、工事などで設置位置が変わる可能性があります。その場合、車上のデータベースを更新しなければ、正確な補正ができなくなってしまいます。これを解決する新システムは、鉄道総合技術研究所(鉄道総研)、JR西日本、川崎車両が共同開発したもの。車両のデータベースに、走行路線のカーブの情報を持たせ、従来方式の欠点を改善しました。車両は走行中、速度情報と、搭載したジャイロセンサーにより、現在走行している区間のカーブの情報を取得。これをデータベースの情報と突き合わせることで、地上設備によらない位置取得・補正が可能となりました。これにより、キハ187系などの既存の制御付自然振り子方式よりも、乗り物酔い評価指数で最大23パーセントの改善を実現しています。

 273系の営業運転開始は、2024年春以降を予定。今回公開された編成と同じ、半室グリーン車を含む4両1編成を、計11本製造する計画です。投資総額は160億円。JR西日本管内の地方路線は収支を公表した全30区間が営業赤字と苦しい状況が続きますが、新型「やくも」への投資に踏み切りました。この車両のデザインを担当した川西さんは、「1人あたりの居住スペースをできるだけ確保し、フリースペースやバリアフリー設備など、さまざまな設備を車内のあちこちに配置した。ぜひお気に入りの場所を見つけてもらいたい」とコメント。JR西日本車両部の関谷賢二車両部長も、「この車両に乗ることで山陰地区を思い出してもらえるような存在になってもらえれば」と思い入れを話していました。「ただの移動手段としてだけではなく、車両に乗ること自体が旅の醍醐味になるのではないか」というのが錦織良成映画監督のコメントでした。

 先日、岡山駅のホームで電車を待っていると、何とこの新型「やくも」の車両が入線してきました。試験運転をしていたようです。安来駅米子駅でも試運転中の新型車両を目撃しています。4月6日のデビューを控え、頻繁に伯備線を疾走しているようです。これを受け、この車両に抱きついたり、連結器の部分に乗りポーズを取ったりする悪質な画像がネット上で広がり物議を醸しています。また間もなく運行を終了するリバイバルやくも」の撮影に訪れるマナーの悪いファンがいることも報じられいます。復刻塗装をした「やくも」の運行が始まった昨年頃から相談が5倍ほどに急増したとのことです。私有地への立ち入り、車で猛スピードで走り抜ける、樹木の伐採の横行、電動のチェーンソーを持った人も見かける、など不安の声が上がっています。危険ですから、気を付けたいものです。

 JR西日本鳥取県米子市は、人気音楽バンドの 「Official髭男dism」(愛称:ヒゲダン)の代表曲が、2024年4月6日よりJR米子駅の発車メロディと特急やくも新型車両(273系)の車内チャイムにて使用が開始されると発表しました。「Official髭男dism(オフィシャルヒゲダンディズム)」は島根・鳥取・広島出身の男性4人組のバンドです。メンバーのほとんどが島根大学出身ということから「島根発」というイメージも強い彼ら。ボーカル藤原聡さん、ドラム松浦匡希さんの出身地である島根県米子市の陸の玄関口で、自身の曲が使用されることとなり、地域の方やヒゲダンファンに喜ばれそうです。

 JR米子駅では、「Official髭男dism」がはじめて紅白歌合戦に出場した際の曲、「Pretender」が列車の発車の際のメロディに使用されます。使用されるのりばは、1番(主に岡山・鳥取方面)と2~5番のりば(主に出雲市・益田方面)。列車は、やくも / サンライズ出雲 / スーパーおき・スーパーまつかぜ / 山陽本線・伯備線の普通列車です。2024年4月6日のやくも10号岡山行発車時(9時35分発)から使用を開始し、3年間の予定です。

 さらに、岡山~出雲市間の各駅で発着時に「特急やくも新型車両」の車内で流れる案内放送前の車内チャイムでは、上りは「Pretender」(オルゴール)、下りは「I LOVE…」(ピアノ)が使用されます。山陰外からのお客さんの利用が多い「特急やくも」では、岡山へ向かう場面は、多くの方が帰路となることから、情緒的な楽曲の雰囲気が旅情にマッチすると考えたことによります。一方、縁結びにゆかりのある地が多い山陰に向かう人が多い下りは、多くの人の胸を打った恋愛を歌った楽曲が旅情にマッチするとして採用されました。今から新型車両に乗るのが楽しみです。♥♥♥

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『オックスフォード英語辞典』に日本語が

 学生時代に英文学の故・小林定義(こばやしさだよし)教授の古典文学を購読する授業で、全ての単語を『オックスフォード英語辞典』(OEDで引いてくることが課されました。昔の文学作品に出てくる英語は現代英語とは異なる意味や使い方をする語が数多くあるので、それらをきちんと見極めなさいという教えでした。資料室に閉じ籠もってとんでもない分量を調べないといけないので、学生はそれはもう大変でした。自分で購入した時にはそれはもう何よりの喜びでした。あの授業で英語の辞典を引く大切さが叩き込まれた思い出があります。私たちは手分けをして調べることもできるのですが、小林先生はお一人で全部ノートに書き込んでおられました。そのせいで腰を痛められたというエピソードが残っていますが、OEDを引いたことのある人ならあの重さがお分かりでしょう。1928年発行で20巻を超える大辞典です。世界中の言葉の多様な英語の用法を記述するだけでなく、英語の歴史的発展をも辿っており、学者や学術研究者だけではなく英語を学習しようとするあらゆる人達に必須の辞典です。現在は、WEB版が普及しているので重い辞書を持ち運ぶことも無くなりましたが、その価値は英語研究者には変わりません。

 世界で広く使われる『オックスフォード英語辞典』を出版するイギリスのオックスフォード大学出版局は、3月の改訂に際して、「katsu(カツ)」「donburi(丼)」「karaage(唐揚げ)」といった日本語由来の言葉を新たに23個、ローマ字表記で辞典(電子版)に追加したと発表しました。その殆どが、食にまつわる言葉で、英国メディアは日本食店の増加や日本食材が身近になったことが影響したとの見方を伝えています。辞典の編者はウェブサイトで「英語にとって、日本語は外来語の宝庫だ」と語っています(⇒例えばコチラ)。今回の選考には、日本の東京外国語大学の教授が協力したということがホームページで写真が掲載されました(投野先生など)。

 karaage(唐揚げ)の定義を見てみましょう。

karaage =唐揚げ
A Japanese dish consisting of small pieces of chicken, other types of meat, or seafood, which have been marinated, coated in flour, potato starch, or cornflour, and then deep-fried in oil. Also: this style of cooking. Frequently as a modifier or postmodifier, esp. in karaage chicken and chicken karaage.(小さな鶏肉やその他の肉、魚介類をマリネし、小麦粉、片栗粉、またはコーンフラワーをまぶして油で揚げた日本料理。また、この料理スタイル。多くの場合、特に修飾語または後置修飾語として使用されます。唐揚げの鶏とか鶏の唐揚げ)

 英国では近年、日本の食文化に対する関心が急速な高まりを見せており、特に日本風のカレーライスにチキンカツや野菜のコロッケなどを乗せた「カツカレー」が事実上の国民食といわれるほどの大人気となっているそうです。

 ほかにも英国での本格的なラーメンの浸透ぶりを反映して、豚の骨を何時間もかけて煮出したスープを意味する「tonkotsu(豚骨)」や、英国でもファンの多い宮崎駿監督のアニメ映画「千と千尋の神隠し」で主人公が食べたことで広く知られるようになった「onigiri(おにぎり)」も追加されました。食べ物の関連では「takoyaki(たこ焼き)」「okonomiyaki(お好み焼き)」「yakiniku(焼肉)」「tonkatsu sauce(トンカツソース)」のほか、三徳包丁を意味する「santoku」が入るなど、英語圏での日本料理の人気ぶりが改めて裏付けられた恰好です。

 ほかには、日本の漫画やアニメの人気を背景に「mangaka(漫画家)」「isekai(異世界)」「tokusatsu(特撮)」も入りました。陶器の修繕技法である「kintsugi(金継ぎ)」や、絞り染めを意味する「shibori」も追加され、日本の伝統工芸への関心の高まりも伺わせました。今回、“異世界”(isekai)OEDに新たに追加されましたが、この言葉は、見知らぬ場所に運ばれる主人公のファンタジー物語として定義され、例としては宮崎駿『君たちはどう生きるか』(The Boy and the Heron) の映画が紹介されています。日本アニメの影響が見て取れます。ただしこの言葉を知らない日本人も多いと思われます。

 借用語の半分以上は、食べ物や料理に関するものです。

「Santoku(三徳=刃先が短くて平らな刃を持つ包丁)」

「Okonomiyaki(お好み焼=香ばしいパンケーキの一種。「好きなもの」を意味する「お好み」と、「揚げる、焼く」を意味する焼きとの組み合わせに由来)」

「Katsu (カツ=肉、魚介類、野菜を小麦粉、卵、パン粉でコーティングし、揚げて短冊状に切ったもの)」は、ブーメランワードと見なされ、再借用の場合です:Katsuはkatsuretsuの短縮形であり、英語の「カツレツ」を日本語に借用したものです。

「Donburi(丼=ご飯に他の具材をトッピングした日本料理)」

「Omotenashi(おもてなし=思いやり、細部への細心の注意、ゲストのニーズの予測)」

「Kintsugi(金接ぎ=不完全さを受け入れる…壊れた日本の洛黒鉢を金継ぎで修理したもの)」

 この辞典は定期的に日本語を加えており、今回は編集者が、東京外国語大の教授らと協力して選びました。載せている日本語は500語を超えます。♥♥♥

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エイプリルフールの英語

 今日は4月1日「エイプリルフール」の日です。この「エイプリルフール」の英語表記に関して、日本で初めて問題提起をしたのは私です。岩崎研究会の研究誌に掲載された、八幡成人  「語法ノート:April Fool’s Day」  Lexicon, No.17 (1988)(岩崎研究会)でした。今からもう36年も前󠄂のことです。かいつまんでまとめてみましょう。 

 「四月バカの日」(エイプリルフール)に相当する英語表現には「揺れ」が見られるのです。当時、我が国の英和・和英辞典の圧倒的多数が、April Fools’ Dayを(複数形)見出し語にたてていました。便宜上、これを[A型]としておきます。ところが、当時私が、英米の新聞や百科事典を見ていると、[B型] April Fool’s Dayが(単数形)よく使われていたので疑問に思いました。教員になりたての頃に、このことに気がついた私は、ずいぶんこの問題を追いかけたことがあります。「(株)海外新聞普及」から、4月1日付けのアメリカ・イギリスの新聞を片っ端から取り寄せて、細かく検討してみました。今からもう30年も前のことです。1984年にフィラデルフィアに滞在中であった三木悦三教授(熊本女子大学)のご好意で、少なくともアメリカでは、両方の形が意味の差なしに使われていることを確認していただいています。我が国の主な辞典の扱いは下記の通りでした。

◎April Fools’ Day ―  『和英大辞典』(研究社) 『新英和中辞典』(研究社)『ルミナス和英辞典』(研究社) 『ライトハウス和英辞典』(研究社) 『アドバンスドフェイバリット和英辞典』(東京書籍) 『エースクラウン英和辞典』(三省堂)  ◎April [All] Fools’ Day ― 『オーレックス和英辞典』(旺文社) 『新和英中辞典』(研究社) ◎April Fools’ [Fool’s] Day ―  『グランドセンチュリー和英辞典』(三省堂) 『英和大辞典』(研究社) 『リーダーズ英和辞典』(研究社) 『E-ゲート英和辞典』(ベネッセ)  ◎April Fool’s [Fools’] Day ― 『ジーニアス和英辞典』(大修館)『ジーニアス英和辞典』(大修館) 『フェイバリット英和辞典』(東京書籍) 『スーパーアンカー英和辞典』(学研) 『ウィズダム英和辞典』(三省堂) 『ライトハウス英和辞典』(研究社)  『コンパスローズ英和辞典』(研究社)

  当時、私たち『ライトハウス英和辞典』の編集顧問のロバート・イルソン博士(ロンドン大学)に調べてもらったところでも、イギリスでは両型が見られるとのことでした。ブリティッシュ・カウンシルが使っているのも[B型]です。アメリカ辞典界の老舗メリアム・ウェブスター社ミッシュ編集長(当時)によれば、同社編集部の用例ファイルでは、[A 型][B型]の比率は3:1だということでした(ただし用例が少々古いので現代英語を反映しているかどうかは疑問だ、と断っていらっしゃいましたが)。1987年に、八幡がアメリカの4月1日付けの新聞13紙を調べたところでは、逆に2:3で[B型]の方が多かったんです。私たちの編集顧問・故ボリンジャー博士(ハーバード大学名誉教授)ご自身の好みも[B型]だということでした。で、博士は、地元新聞(Palo Alto)の編集者たちに聞いてくださったんですが、やはり同様の結果が得られました。句読法の研究で知られるCharles F. Meyer教授(マサチューセッツ大学)にご協力をいただいて(1987年12月)、先生のクラスの学生の反応を調査してもらいました。[B型]を好む者13名、[A型]を好む者が8名、ということでした。[B型]の方が一般的のようです。少なくとも、[B型]が無視できなくなっていることは、次の記述からも分かりますね。

 The occasion celebrated on the first day of April is officially called April Fools’ Day in the United States. Each word of the titled is capitalized and the fool is plural possessive. The singular fool’s is listed as a variant spelling. However, this is not standardized and the main listing seems to vary from dictionary and dictionary (i.e., whether the plural or the singular is listed as the main spelling). Actual usage seems to support this non-preference, with both spellings being used about the same frequency. (Grammaristより、下線は八幡)

 間違いなくApril Fool’s Dayの綴りの方が優勢です。この件については、あまり英米の辞書は役に立たないのですが(私が英語研究で最も頼りにしているロングマンもApril Fools’ Dayだけです。ところがそのアメリカ版であるLongman Dictionary of American EnglishではApril Fool’s Dayとなっています ね)。Oxford Advanced Learner’s Dictionary (9th ed. 2015)では、見出しがApril Fool’s Dayとなっていました。グーグルで検索してみても(Google Ngram Viewer)、やはり[B型]の方が[A型]よりも優勢となっています。グーグルに出現する頻度を比較してもやはり[B型]の方が[A型]よりも圧倒的優勢となっています。私はこのような実態を受けて、『ライトハウス英和辞典』(第6版)『コンパスローズ英和辞典』では、上記のように、[B型]を主見出しとして扱いました。

 現在優勢なはずのApril Fool’s Dayという綴りが、英和・和英辞典からすっぽりと抜け落ちているのは一体どうしたわけなんでしょうか?他辞典の「孫引き」ではなく、自ら裏付けを取ることの重要性を忘れてはなりません。今流行のChatGTPでも次のような誤った回答が出てきます。

 両方の綴りが使用されることがありますが、一般的には「April Fools’ Day」がより一般的です。これは、この日が複数の人々によっていたずらや冗談が行われる日であることを示しています。ただし、一部の文書や使用例では「April Fool’s Day」という単数形も見られます。

   この語の起源に関しては、諸説があって定かではありません(Morris & Morris (1962),  Ciardi (1980), Hendrickson (1987)参照)。どうしてこのような異形が生まれてきたかについての歴史的背景や、そして優勢になる訳については、コチラ“What’s the correct spelling of April Fool’s Day?”という優れた解説が出ていますので、興味のある方はご覧ください。

 最新のCOBUILD Advanced Leaner’s Dictionary (10th edition, 2023)では、見出し語はApril Fool’s Dayです。最近では、【C型】April Fools Dayという表記も見られるようになりました。頻度はApril Fool’s Day > April Fools’ Day >  April Fools Dayであることは、下のGoogle Ngram Viewerからも明らかです。❤❤❤

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BEACON

◎週末はグルメ情報!!今週はカレー

 「シーサイド・カフェ・ビーコン」(BEACON)、こちらは呉市大和ミュージアム」のすぐお隣にあるガラス張りの爽やかなカフェです(2008年7月にオープン)。お店の入口では、ニヒルな笑顔で船長さん?のお人形がお出迎えしてくれます(口にくわえた葉巻?が取れてしまっている模様)。周辺の散策の後の休憩などでも気軽に入れそうな雰囲気のお店ですね。

 「ビーコン」の店内に入ると、マリン調の爽やかなインテリアが迎えてくれます。ガラス張りの明るい雰囲気です。午前11時の開店と同時に、多くのお客さんが次々と入っていました。

ビーコン(BEACON) 店内写真

 横に細長く小さなお店ですが、前後がガラス張りになっているため圧迫感はありません。海側には「大和波止場公園」「呉港」が見えるので、窓際のカウンターでゆっくりと食事を楽しみました。もちろん道路側の「てつのくじら館」を愛でながら、ソファーとイスのテーブル席で食事を楽しむのもよし。

▲波止場を眺めながらカレーをいただく

 呉の飲食店では、護衛艦ごとの海事カレーを提供しているそうです。海上自衛隊・呉基地に所属する艦船等で食べられているカレーを、各店が海上自衛隊の調理員から直接作り方を教わって、味を忠実に再現しました。司令や艦隊長から「これはうちのカレーだ!」と味のお墨付きをいただいたこだわりの詰まったカレーです。なんでも、長く航海している隊員が曜日感覚を忘れないようにするために、多くの部隊では毎週金曜日の昼食にカレーが食べられるのだそうです。護衛艦ごとにカレーの味がここまで違ってきたのはここ最近のことで、昔は味はどの護衛艦も同じだったそうですよ。

 私が頼んだ一番人気の「さみだれカレー」(サラダ付き、1250円)は、牛肉、豚肉、鶏肉の3種のお肉を使うこだわりの1品で、護衛艦「さみだれ」のレシピを再現した呉名物の海軍カレーです。ご飯の上には旭日旗が立てられていて、いかにも日本海軍らしいですね。

 3種のお肉(牛肉、豚肉、鶏肉)と香味野菜をじっくり煮込み、飴色玉ネギとカレールーで仕上げた手間暇のかかったカレーです。一口目はマイルドですが、後からスパイシーさが楽しめます。ただカレーの美味しさで言ったら、個人的には「CoCo壱」の方が美味しいや。私はお隣の「大和ミュージアム」のショップオリジナルの「海軍さんのカレー」(2食入り、854円)も買って帰りました。こちらの方は家で味見してみると、思った以上に美味しかったですよ。♥♥♥

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八幡の近況

 2月下旬に受験生を送り出してから3月いっぱいまでは、のんびりと暮らしています。朝ものんびりとできますし、何よりも時間に追われることもありません。昨年の今頃は、授業の合間にリハビリに通っていたので、結構大変でした。今は幸い股関節の痛みも取れて、自由に、とは言っても左膝に炎症を抱えており、転ぶのが怖いので、階段は一段一段上り下りをしています。久々に、21連続日本一の庭園の「足立美術館」で心を癒やしてきました。喫茶室「大観」でコーヒーをいただきながらお庭を見つめておりました。25日で閉店すると連絡をいただいた「両国寿司」の大将にご挨拶に行き、懐かしい思い出話に美味しいお寿司を食べました。先週は5月に発売になる「共通テスト」の直前問題集(ベネッセ刊)の初校が出てきたので、それにかかりっきりでした。合間を縫って、尊敬する柴田 博先生(元・益田高校校長)のご自宅に、ラーンズの小野恭裕社長とお邪魔してゆっくりと歓談させてもらいました。席を移して「みな美」で会席を囲み楽しいひとときを過ごすことができました。鯛めしが美味しかった。勝田ケ丘志学館の入試の日に採点に出かけました。出願していた米子東高校の生徒が、後期試験にたくさん合格したため抜けてしまい、今年は23人でのスタートとなりました。その後、志学館のスタッフ一同で大山の麓にあるビアレストランの「ガンバリウス」で夕食を食べました。ここは何度来ても何を食べても美味しくお気に入りです。翌日は松江に「唐崎商店」がオープンしたので(米子・出雲のお店にはよく行きました)、電動自転車で東津田まで遠出してきました。開店の11時前に行ったんですが、もうすでに行列ができており、案内されからも次々と来店で、帰る頃には店内と入り口にぎっしり行列が並んでいました。すごい人気です。「北海道味噌炙りチャーシュー」「半チャーハン」を美味しくいただきました。毎週木曜日には、古志原まで電動自転車で遠出して「テルミ」という温熱療法で全身温めてもらっています。もう2年間ほど通っていますが、2時間近く温めていただき、体調がすこぶるよろしいんです。ただこのところ毎週木曜日は天気が雨で、行き帰りに苦労はしています。家に帰ると熟睡です。松江日赤で手術してもらって1ヶ月ちょっと入院していた際に、決まりで就寝が夜の9時でしたから、とても私のそれまでの生活時間とは異なるので寝つけません。先生にお願いして軽い睡眠導入剤を処方してもらって眠っていたんですが、毎朝3時に目が覚めるんです。そのせいで、朝の3時から始まるテレビのTBSニュースを観ることが病院で習慣化してしまいました。今もその名残で、朝3時に目が覚めます。TBSニュース(朝3時)→日テレニュース(朝4時)→NHKニュース(朝5時)が、最近の私の日課です。今日は久しぶりに快晴で空気も澄んで良いお天気だったので、電動自転車で田和山までお出かけしました。今日の1日を振り返ってみたいと思います。

▶久しぶりに末次本町の「珈琲館」でモーニングをいただきながら、ブログの修正を小一時間ほど行いました。ここの2階の私の指定席は眺めが良くてお気に入りなんです。私が原稿を整理するときには、若い時からずっとここでやっています。

田和山に向かう途中でミートショップ「きたがき」に立ち寄り、大好きな「コロッケ」「ミンチカツ」を購入。いつも行列が出来ていますが、開店時間早々ということで、誰もいませんでした。▶コンビニのファミリーマートで、「スポーツ報知」「日刊スポーツ」「大阪スポーツ」「産経新聞」を買います。自宅では「朝日新聞」「読売新聞」を購読しているので、毎日6紙をチェックしているんです。▶松江市立病院を通り過ぎ、大好きなパン屋さん「森のくまさん」に向かいます。相変わらずたくさんのお客さんでごった返していました。私の目標は「森の切り株」「カレーパン」です。▶坂を登って「今井書店センター店」に入りました。まずは入り口の文具店「ぶんぶん堂」をのぞきます。「何か面白い文房具はないかな~?」とお店をぐるぐると回っていると、ゼブラの新商品「クリックブライト」というノック式蛍光ペンが目に付きました。私は夜ベッドの中で必ず本を読むので、マーカーはノック式でないとそのまま眠ってしまうと、シーツに色が付いてしまうんです。従来の半分の線幅2mmのノック式蛍光ペンです。ピンクオレンジの2色を購入しました。これ案外いいかもしれません(後日詳しく触れます)。

センター店で、欲しかった本を検索機にかけて在庫を確認してから書棚を回ります。2冊だけ棚の記入が無かったので、見つかりません。店員さんに確認すると「今日入荷したばかりの本」だと言う。お願いすると奥へ行ったきり、待てど暮らせど帰ってきません。最近よくあることです。本当にサービスが悪くなりました。長い時間待たされても「お待たせしました」の言葉もない。どれだけ待たせるんだ、と言いたいです。こういう状況なので、最近はもっぱらアマゾンを利用しています。長年雑誌類は全部自宅に届けてもらっていましたが、それも打ち切りにしました。こうしてお客が離れていくんです。取りあえず今日の目標の本は全部買うことができました。

▲欲しかった本をゲット!

▶帰り道、ケーキ屋「ウィーンの森」に寄って、私の好みの「マルキーズ」を買います。▶お昼ご飯は新しく出来たばかりの「Kitchen Takeru」で食べようと思って、市役所近辺をぐるぐる回りますが、一向に見つかりません。同じ場所を何度も何度も行ったり来たりしていました。▶「K.Kowari」(フランスで修行されたケーキ屋さんでチョコレートが得意)に入ってチョコレート・ケーキを2個ほど買って、店員さんに「Kitchen Takeru」の場所を聞いてみました。するとパン屋さんの「Pantograph」(昔の「キッチンおかだ」)を真っ直ぐ行ったところだと言う。さっきも何度も通っていた場所でした。違うお店の名前になっていたので、気がつきませんでした。お店のドアには「本日満室」と貼ってあったので断念。▶仕方なしに黒田町の「CoCo壱」「野菜カレー」を食べました。▶ようやく自宅に帰り、お昼寝です。▶目が覚めてから、溜まっていたマジック道具の整理です。どんどん買うのはいいのですが、整理する時間がないので、積み上げたままになっているのです。ケースに整理しました。テーブルの下の思わぬ所から1年間見つからなかったギミック・コイン3種類(高かった!)が出てきて嬉しくなりました。ホコリだらけでコインの表面が黒ずんでしまっていたので、専用のクリーナ-(OPT)で磨いてピカピカになりました。▶そうこうしていると郵便屋さんが「ノジュール」を持って来てくれました。これはJTBが発行している大人の旅雑誌です。今月号は美術館の特集で面白かった。▶午後6時からはいよいよプロ野球の開幕です。巨人―阪神戦です。開幕前のオドーア選手の電撃退団(後日詳しく触れます)という事件はありましたが、島根県・開星高校出身の梶谷選手が見事なスーパープレイに2ランホームランの大活躍で、4―0でジャイアンツの快勝、阿部新監督の初勝利です。戸郷―西舘―中川―大勢の完封リレーも見事でした。今年はやりますよ。▶ジャイアンツの勝利でいい気分で、ブログの原稿を修正して、ベッドに入りました。♥♥♥

▲幸先良いスタートを切ったジャイアンツ!

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薦掛け

   金沢市長町武家屋敷跡に見られるわらで作られた薦(こも)を使い、土壁を雪から守る「薦掛け」(こもがけ)金沢市の冬の風物詩です。街の変化により、金沢市内でも「薦掛け」を見ることができるのが、武家屋敷跡地の他数箇所となり、金沢でも珍しい冬の景色となってきました。県造園業協同組合の庭師ら30人がその作業にあたり、高さ95センチ、幅3・6メートルの薦を1枚ずつ丁寧に壁に掛けていきます。二日間にわたって、総延長1,100メートルの土塀に取り付けます。市内の職人がわらで手編みした約500枚の薦を掛けていきます。薦一枚は幅360センチ、高さ95センチ。この「薦掛け」は江戸時代に始まったとされます。水平に美しく揃えるのが腕の見せどころです。薦の上部に横に渡した竹を縄で結び、塀の軒下につり下げました。数年前までは、12月1日が「薦掛け」をする日と決まっていたようです。近年は、12月の第1土曜日、日曜日にされているようです。

▲金沢冬の名物「薦掛け」

 この「薦掛け」作業も、「兼六園」で有名な「雪吊り」(⇒私の記事はコチラです)と同じく、土塀を北陸特有の湿った重たい雪から護るために行われます。土塀に雨や雪が染み込むと、凍結し、傷んだり、土が剥がれたり、ひび割れしてしまいますからね。薦は縦95センチ、横3.6メートルが定型。横を伸ばす形で仕上げていきますが、一時間で作れるのは三十センチくらいです。わらを結ぶわら縄も自分で作らねばならず、一枚の完成に5日ほどかかります。「雨や雪が入らないよう隙間は小さく、見てくれも良く、長持ちするように。根気の世界です」

 土塀の「薦掛け」は江戸時代に始まったとされますが、1986年からは金沢市が受け持ち、総延長約1.1キロの土塀に施します。最近は観光客にも人気の景色ですが、市景観政策課によると、目的は土塀の保護にあります。染み込んだ水分が氷結して損傷したり、雪で土が剥がれたりするのを防いでいるのです。薦は全部で約500枚ほど必要で、6,7年使ったら新調します。「薦掛けは、私らがコートを着るようなもの。本来の役目は見せるためではないが、見た目も温かい感じがある」。稲作のやり方が変わり、わらの調達すら難しくなっています。「薦は一人の力でできてはいない。こだわっているからこそ、景観も醸し出すのだと思います」

 金沢市を散策する中で、写真を撮りました。♥♥♥

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various

 高校生の多くがvariousという単語を「さまざまな」と暗記します。辞書にも単語集にもそのように載っているので、何の疑問も抱かずにそう記憶している生徒が多いと思います。しかし、ここで私が突っ込んで「「さまざまな」というのはどのくらいの数だと思う?」と聞いてみると、かなり大きな数を想像しているようです。「さまざまな」という日本語の訳語から、実際の英語のvariousよりもたくさんの数を頭に描いているようなのです。variousというのは“several different”(いくつかの異なる)という意味ですから、それほど多い数になるとは思えません(If you say that there are various things, you mean there are several different things of the type mentioned [COBUILD]) 。では今度はseveralを英英辞典で確認してみると、Several is used to refer to an imprecise number of people or things that is not large but is greater than two [COBUILD]とありますから、variousが示唆する数は「たくさん」ではないのです。そしてここで押さえておきたい重要なことは、variousを使うときにはより多様性(variety)があることを示唆しています。several peopleといえば、単純に人数の幅を示すのに対して、various peopleといえば、一定の人数内における各人の特徴の多様性を示唆しているのです。I disagree with you for several/ various reasons.のような文では、どちらの単語を使っても文の意味に大きな違いはありませんが、variousを使った場合には理由により多様性があることを示唆していると言えるでしょう。various は質的なことを言っている単語であって、決して数がたくさんあるわけではありません。「manyよりもseveralに近いvariousと覚えておきましょう」(スティーブ・モリヤマ『イギリス英語は落とし穴だらけ』(研究社、2016年))とあるわけがお分かりいただけるでしょう。「ある程度は似ているが同じような種類のなかでいろいろと違っていることを表し、複数名詞を伴う」(『ライトハウス英和辞典』第7版)♥♥♥

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Do your best!

 日本人の中には「頑張って」という意味で “Do your best!” を使う人が多く見られます。このフレーズを応援フレーズだと思って使っている人もいるかもしれません。しかし、この do one’s best という表現、あまり応援フレーズとして他人に使う表現ではないのです。もしも他人に “Do your best.” と言ってしまうと、ちょっと「上から目線」に感じられてしまうかもしれません。「あなたにはあまり期待はしていない」「あなたはまだ全力を出し切ってはいない」「応援しているけど、いい結果が出なくても私はがっかりしないから失敗しても大丈夫だよ」といったニュアンスのある言葉です。「最善をつくしなさい」と言っていることになるので、なんだか押し付けているような感じがしないでしょうか?そのためか、よほど親しい間柄ではない限り、友達にこの表現を使うことはほとんどないのです。デビッド・バーカ『英語じょうずになる事典(上)』(アルク、2017年)によれば、この表現は、お母さんが自分の子どもに向かって、試験の直前に少しでもプレッシャーを軽くしてあげたいときなどに使う言葉だと言います。アメリカから来日したある助っ人野球選手は、日本人のファンにしつこいくらいに“Do your best!”と声を掛けられ続けて、かなりイライラしたそうです。日本のファンはきっと応援のつもりで声を掛けているのでしょうが、ネイティブ・スピーカーにとっては「お前は今持てる全ての力を出し切っていないじゃないか。全力でいけよ!と言われているような気分になったのでしょう。このように、使い方によっては批判的に聞こえる含みもある表現なので注意が必要です。どちらかというと、自分自身のことについて「(やれるかどうか分からないけれども)できるところまで最善を尽くしてやってみるよ。と言うようなときに、“I’ll do my best.”ということが多いでしょう。

▲日本人特有の誤りを解説した面白い小辞典

 「頑張って」と応援をしたいのであれば、“Good luck!” “Come on!” “Don’t give up!” “You’re nearly there!” “Break your leg!”などと言えばよいでしょう。

 「がんばってください」の意味で、日本人が使ってしまいがちな表現にTry your best.があります。次の会話をじっくり読んでみてください。

 A: My piano teacher says I'm ready to give my first recital.
B: Really? Well, try your best.
A: I'm trying my best! Can't you be more encouraging?
A:「ピアノの先生に、もう初リサイタルをやってもいいって言われたの」
B:「まじで?まあ、精一杯努力することだね」
A:「一生懸命やってるわよ!もっと励ましてくれてもいいじゃない」
     ―『CNN ENGLISH EXPRESS』4月号、2018年

  Try your best.と言うと「(ダメだろうけど)精いっぱいがんばることだね」という冷たく、意図したこととは全く反対の意味になってしまいます。“Keep up the good work.”(がんばってね)と言えばよかったのです。 ♥♥♥

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梓 林太郎亡くなる!

 作家の梓林太郎(あずさりんたろう=本名林隆司〈はやし・たかし〉)さんが1月27日、老衰でお亡くなりになりました。92歳でした。尊敬する西村京太郎先生が二年前にお亡くなりになって以来、私の大好きな推理小説作家で作品をずいぶん読んでいるんですが、朝刊に小さくその訃報が載っただけで、実に淋しい扱いでした。

 長野県下伊那郡上郷村(現:飯田市)生まれ。中央アルプスに連なる山村にあった母の実家では、家業の農家の手伝いなどで毎日のように山に入っていました。進学のため18歳で上郷を離れましたが、本格的に山登りを始めたのは東京に出てからです。激動の昭和に、営業マン、貿易会社、調査会社、経営コンサルタント会社など様々な職業を転々として、1980年、短編「九月の渓(たに)で」で、「小説宝石エンタテインメント小説大賞」を受賞してデビューしました。趣味の登山経験を生かした山岳ミステリーに定評があります。旅行作家・茶屋次郎が各地の明媚な河川を訪れて難事件を解決する「名川シリーズ」は、TVドラマ化(橋爪 功主演)もされて人気を博しました。他に、長野県警刑事「道原伝吉」松平 健主演でTV化)、山岳救助隊員「紫門一鬼」髙嶋政宏主演でTV化)、元警視庁刑事下町探偵「小仏次郎」などの人気シリーズで知られています。山岳ミステリーと旅情ミステリーを中心に、200冊以上の著作を手がけられました。

 さんは作家デビューするまでの20年間、巨人・松本清張さんがお書きになる社会の不審な出来事やゆがみなどを調査する仕事をされておられました。そのことを『小倉関門海峡殺人事件』(カッパノベルス、2020年)の中で触れておられます。松本清張の人柄がよく分かる貴重な文章です(この中に出てくるAという人物が梓林太郎さんです。下線は八幡)。

 清張さんと交流のあった現代の作家が、松本清張を回想して書いた本を道原は読んだことがあった。Aというその人は作家になる前、清張さんに頼まれて、ある組織や、過去の事件を調べたり、小説のヒントを提供していた。月のうち何度かは杉並区の自宅を訪ねていた。慣れてくると清張さんには横暴な一面があることが分かったという。清張さんは、夜八時ごろから仕事をはじめ、朝の四時ごろまでを執筆にあてていた。書いているうちにペンがとまることがある。専門的な名称や、社会の組織構造などについて不明な点につきあたるのだ。それはものを書く者のだれもが経験することなのだが、清張さんはそこを飛ばしたり、いい加減なつくりごとでごまかしたりができない人で、時間をかまわずAに電話を掛けた。その電話はたいてい午前二時。『あんた、眠てたかね』ときいたという。

 それと清張さんには信じられないような一種のクセがあった。Aを自宅に呼びつけるのはたいてい午前十一時だった。約束どおりに訪ねると、二回から下りてきた清張さんは、玄関に立っているAに、『きょうはなんの用かね』と尋ねた

 約束した日時に訪問すると玄関先で、『……なんの用か』と清張さんからいわれた人はAだけではなかったようだ。清張さんが亡くなると、新聞や雑誌はゆかりのあった人から氏についての思い出を特集したが、そのなかに、何日も前に電話で約束した日時に訪問すると、『そんな約束をした憶えはない』と、玄関の上がり口でいわれたというのがあった。

 清張さんは約束を忘れてしまうのか、メモを失くしてしまうのか、いずれにしろ、一種のクセを持った方だったようだ。Aはこの清張さんを、『創作に集中するあまり、人とのやりとりが多少粗雑になるのでは』と書いていたし、おもしろい一文があったのを道原は思い出した。『慣れてくると清張さんは、人使いがあらく、横暴な一面があった。私は相手が高名作家であるのを忘れて、いい争いをしたこともあった。そういう日は、冷たい石でも嚙んだ気がして帰宅したものだが、書棚から「鬼畜」を取り出して読み返した。その小説を読むとなぜか苛々が治まり、「この小説を書いた人なのだから」と、とがっていた気がまるくなるのだった』記念館の壁のあちこちに、清張さんの姿の写真が飾られていた。風格があって絵になる人でもあった。

 私は大好きだった故・西村京太郎先生への松本清張さんのひどい仕打ちを伺っていたので、松本清張という人は好きになれませんでした(⇒詳しくはコチラをご覧ください)。さんのこの文章を読んでも一癖のある人物であることが分かります。

 ずっとのち、はからずも私は清張さんと知り合うことになり、二、三回、小さな諍いを起こした。多忙をきわめていたからか、清張さんにはいくぶん身勝手なところがあった。その点に私は分を忘れて腹を立てたのである。浜田山のお宅の玄関先から追い出されたこともあった。

 清張さんには時折、身勝手、と受け取れる面があった。中年から作家となった清張さんは、その遅れを取り戻すかのように、目ざましい多作ぶりを示した。「時間が惜しい」常にこの気持ちに背中を押されていたような気がする。したがって作品に没頭する。仕事への集中のあまり、他人への配慮や宛ての都合を忘れているのではないか、と思われることが何度かあった。深更の午前二時に電話をくださったのもそのひとつではなかろうか。

 作家として頂点にのぼりつめた清張さんには、ときに傲慢な一面をあらわすことがあった。

 さんにとって、強い影響を受け、深い思い出のある人の筆頭が松本清張さんであったことは間違いありません。「文章が似ている」と言われたこともあります。二人の結びつきについては、梓林太郎『回想・松本清張 私だけが知る巨人の素顔』(祥伝社文庫、平成21年)に詳しく出ています。今この本を読んでいるんですが、実に面白い。20年間身近で清張さんを見てこられた人のエピソードだけに信憑性があります。さらには、この本はさんの自伝にもなっており、作家デビューする前の極貧生活、涙ぐましいほどの苦労が細かく描かれています。♥♥♥   

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常識で動かない~新幹線800系の前照灯

 九州を走る新幹線800系「つばめ」は、先頭連結器の部分に若干700系の面影が残る程度ですが、全くの別物で、中でも縦三連の前照灯(ライト)が特徴的です。ヘッドライトはプロジェクタータイプのHIDが片側縦3灯に並ぶという独特なものです。これまでの常識にとらわれることのない鉄道デザイナー・水戸岡鋭治(みとおかえいじ)先生のこだわりの産物です。800系を一度見たら忘れない印象的な「顔」にしたかったのです。新幹線車両はたいてい片側2灯なので、かなり珍しいといえましょう。常識では横長の「横目」、つまりヘッドライトの電球は横に並べて線路を照らすものでした。しかしよくよく考えてみれば、新幹線の線路に急カーブはないのですから、「横目」にする必要はありません。「そうだ、“縦目”だ。“縦目”にするしかない!」これだけ縦目にこだわったのには訳がありました。オートバイに乗って水戸岡先生ドーンデザイン研究所によく遊びに来られる師匠の高名なデザイナーさんが、先生にぽつんとつぶやいた一言です。「これからは、縦目だぞ。」こうすれば700系とは全く違う顔にすることができます。平成21(2009)年登場の新800系では、外観の前照灯が3次曲面の凸型になりました。

 前照灯を縦長にデザインした水戸岡鋭治先生でしたが、JR側は大反対でした。メーカーの専門家は「そんなことをしたら電球交換する時に困りますよ」と反対の声が上がりました。800系「つばめ」の縦目は長さが2メートルもあるので、電球を交換する時に、長い引き出し台を取り付けなければならなくなる、というわけです。「切れた電球を交換する作業は、一年に一度あるのかどうか。それは枝葉末節の問題でしょう」水戸岡先生は反論し、決して譲りませんでした。交換しやすいようにスライド式にして、あくまで縦長で押し切りました。縦長で大きい目だからインパクトがあるという信念です。人間だってメイクで大きい目にしているじゃないですか〔笑〕。専門家はそんな些細なことが大事だと言ってきます。それを一つひとつ潰していくのが水戸岡先生の仕事だと言います。何か新しいことをしようとすると必ず反対があります。教育の世界でも私は何度も経験してきました。慣れないことをする不安から自然に抵抗感が生まれるのです。それが生徒のためになるのかどうか、これが私の物差しでした。700系から800系へ、印象が変わるかどうか、ここは肝心な所だったので、水戸岡先生はこだわりにこだわり妥協することはありませんでした。その結果JR九州ではとんでもない列車ができる。他の会社は常識で動いているから普通のものしかできないのです。

 

 白地に赤いラインは、初期783系やJR九州N700Sと言った記念すべきJR九州最初の列車でよく採用されるカラーリングで、JR九州の企業ロゴの色をそのまま使っています。開業当初は新八代での乗り換えが発生したため、号車番号が非常に大きく表記され、後の列車でもよく見かけられる手法です。JR九州の車両全般にいえることなんですが、ロゴレタリングが多いのが800系の特徴で、ここでも他の新幹線車両にない独自性が出ています。水戸岡鋭治先生は、車体に文字、ロゴタイプ、シンボルマークを多くの場所にしっかりと入れられるのが大きな特徴です。どこで写真を撮っても分かるようにしておられるのです。インスタ映えするようにデザインして、記念写真を撮った時に、バックの車両が分かるようにしておられるんです。他のJRの車両だと真ん中に入っているだけで、写真を撮っても何の車両だか分からないですものね。乗車記念の写真を撮るお客さんのことを配慮しているのです。

 いかに新幹線800系「つばめ」が、従来の常識を覆した「これまでにないオンリーワンの新幹線」であったかは、水戸岡鋭治『ぼくは「つばめ」のデザイナー~九州新幹線800系誕生物語』(講談社青い鳥文庫、2014年)に詳しく出ています。♥♥♥

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「ずんどう屋黒田店」

◎週末はグルメ情報!!今週はラーメン

 丸亀製麺で有名なトリドールグループの現在全国展開しているラーメン店として人気を高めているチェーン店です。背脂系濃厚とんこつらーめん専門店が人気で、こってり濃厚なガツンとくるラーメンが好きな人はもちろん、野菜たっぷりのラーメンやお子様メニューもありファミリーでも楽しめます。「ラー麺ずんどう屋」は、2002年4月4日兵庫県姫路市で誕生しました。じっくり炊き出したとんこつだしをベースに背脂を加えた濃厚スープが特徴。自家製麺にもこだわり、上質の小麦粉を使い丁寧に仕上げています。昨年 松江市西津田に店舗ができましたが、去る2月29日(木)に83店舗目となる「ずんどう屋松江黒田店」がオープンしました。開店2日目に行ってきました。

 お店にいったん入ると、店員さんたちのうるさいくらいの歓迎の声が響き渡ります。元気がいいと言えばそれまでですが、個人的には度を超えた声かけは不快に感じます。かつて「塩名人」というラーメン屋さんができた時にも、同じようなことを感じましたが、最近ではひっそりとしていました。なら一体あれは何だったのか?ブレが見られます。

 「ずんどう屋」の豚骨スープは特注の釜土で水と豚骨だけを使い、約20時間かけて炊き上げます。丁寧に下処理した豚の頭・背骨・丸骨を、骨が砕けるまで強火で炊き続けることにより、クセのない濃厚な豚骨スープに仕上がります。セントラルキッチンにてスープ職人が丹精込めて作るスープは、店舗数が増えても美味しさが変わることはありません。小麦本来の豊かな香りとコシを感じる、特製の小麦粉を使用した多加水でコシの強い細ストレート麺です。豚骨スープと相性抜群です。特製のタレに長時間漬け込んだトロトロの味玉は、黄身の濃い濃厚な味わいです。絶妙な半熟具合に仕上がるよう、ゆで時間を調整し丁寧に仕上げています。赤身と脂身のバランスが良い厳選した豚肉を使用した、特製ダレに漬け込むチャーシューは旨味がしっかりと染み込んだとろけるように柔らかい仕上がりになっています。切り方にもこだわり抜いた自慢のチャーシューだとか。

 とりあえず一番人気という「味玉らーめん」「チャーハン(小)」をオーダーしてみました。背脂の量は「少なめ、普通、多め、まみれ」から選ぶことができますが、初めてなので普通でお願いしました。まずはスープから、ど豚骨とまではいきませんが、しっかりと炊きだされているようで、濃厚な味わいで、ほんわり豚骨の香りに、やや辛口の醤油味です。九州系の豚骨ラーメンとはちょっと違った味わいで、まさにこれが「姫路濃厚とんこつ」なのでしょう。麺は低加水のストレート細麺。シコシコとした食感。ちぢれ麺も選べるそうです。トッピングはチャーシュー、味玉、海苔、ネギ味玉は実にいい味がついていました。チューシューもまずまず。運ばれてきたずんどう屋特選の「辛子高菜」はピリ辛でいい味をしていました。ただ私は昔から九州の豚骨ラーメンは苦手で、どんな名店でもあまり美味しいと思ったことはありません(あの「一風堂」も)。今回もやはり好きにはなれませんでした。チャーハンももっと美味しいお店をいっぱい知っています。ということで、リピーターにはなりそうにありません。♥♥♥

▲このピリ辛の高菜は美味しかった!

 

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「両國寿司」が閉店!

◎週末はグルメ情報!!今週はお寿司

 かつて故・福田理尋先生に、安来市「足立美術館」の駐車場にある江戸前両國寿司」(りょうごくずし)に連れて行ってもらいました。福田先生はご自身も一流の料理人でしたから(大晦日にいただいた、ご自身で打たれた手打ちそばのそれは美味しかったこと)、先生に今まで連れて行ってもらったお店で、ハズレは一軒もありませんでした。その「両國寿司」3月25日で閉店することになったと、足立美術館の広報を担当している教え子の菅野綾夏(かんのあやか)さんから連絡があったんです。これは行かなくてはいけません。

 日本の庭園で、なんと21年連続日本一となった「足立美術館」(⇒私の訪問記はコチラです)が運営する本格江戸前寿司店です。カウンター10席、テーブル20席のお店です。通常はお昼のランチの営業のみ(11時~15時)なんですが、以前来た時は特別に、夜貸しきりで握ってもらいました。それはもう美味しいの何のって。私もいろいろな美味しいお寿司屋さんに連れて行ってもらうんですが、こんな美味しいお寿司を食べたことはありません。大将の腕ですね。境港・松江の漁港から毎朝仕入れる山陰の新鮮なネタで、旬の味覚と、熟練の技を堪能することができます。仕入れから飯炊き、仕込み、握り、洗い物……と、大将がすべて一人で切り盛りしておられるので、夜も営業することはできないということが、丁寧な仕事を見ていてよ~く分かります。赤だしのお味噌汁のそれは上品なお味に感銘を受けました。赤味噌の香りがホッとする味です。カウンターに座って、目の前で、大将の手さばき、包丁さばきを堪能することができました。店内のしつらいといい、雰囲気といい、そして大将の腕といい、申し分のないお店です。目が利き、舌が肥えた、職人気質の大将のウンチクを伺いながら、お寿司を存分に楽しむことが出来ました。お寿司の前に出てくる料理の、それは手の込んだこと。半端ではありませんでした。器も魯山人


 3月25日に閉店するということで、今日は大将にご挨拶に行ってきました。ご病気のための閉店と伺いました。ランチ(にぎり2000円と特上にぎり2500円の2種類のみ)「特上」をいただきます。大将と福田先生の思い出話に花が咲きながら、あれやこれやお話を伺うことができました。お寿司やさんの醍醐味はこうやって握っていただく大将とのカウンター越しの会話ですよね。出てきました。赤出汁お寿司境港産のネタの説明をいただいた後、パクリ。堪らない味です。思わず首を横に振って余韻に浸っていると、「首を振って、美味しくないのか?」と大将に突っ込まれました。そうじゃありません。あまりの美味しさに酔いしれているのです。赤出汁をひとくち飲みます。「あ~、あの味、あの味!」と思い出します。福田先生はいつもここに来る度に、赤出汁をお代わりしておられたそうです。営業はあと3日のみです。ぜひ行ってあげてください。❤❤❤

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投票用紙

 選挙の投票会場で渡される投票用紙は、「ユポ」という名で知られる合成紙で、実は紙ではありません。今日の話題は、この「投票用紙」です。

 合成樹脂ポリプロピレンと天然の鉱物を利用したプラスチックをシート状にしたもので、素材としては日用品のパッケージなどに使われている透明な袋とほぼ同じ材料です。木材のパルプを使用していない紙なのです。森林保全にも寄与していますね。受付で機械から一枚ずつ取り出されて手渡される投票用紙は、表面はサラサラで、妙にしっとりすべすべした手触りで、鉛筆で書いたときの滑らかな書き心地が印象に残っている人も少なくないと思います。その表面は滑りの良いプラスチックにミクロな凹凸を均一に並べたものですから、すべすべしていて鉛筆の滑りを損なうことなく、でも表面には小さな亀裂があって鉛筆の芯は適度に削られて磨り減るので、滑らかに、濃くはっきりと文字を書くことができます。これが魅惑的な書き心地の正体なんです。しかしもちろん、投票用紙「ユポ」をつかう主な理由は、書き心地が良いからではありません。それは、合成紙の「強さ」「復元力」にあります。

 まず、投票用紙は、丈夫でなくてはなりません。投票や開票の際に丁寧に扱うのは当然ですが、それでも、勢い余って無理な力をかける人がいるかもしれませんし、雨に濡れてびしょ濡れだったり、汗だくで会場に来て投票する人がいるかもしれません。中にはイタズラなどで紙を破ろうとする人もいるかもしれません。引っ張っても破れません。破ろうとしてもなかなか難しいものがあります。

 また、開票は時間との闘いですから、多少は乱暴に扱われることだってあるでしょうし、今は多くの開票現場で自動仕分け機が使われているので、投票用紙の状態が悪いと紙詰まりなどのトラブルの原因にもなります。滅多に無いことかもしれませんが、そうしたトラブルで投票用紙が傷んでしまうことで、意志を持って投票された一票が集計できなくなるのは、是が非でも避けなくてはなりません。プラスチックでできている合成紙は、普通の紙と比べて破れに対して圧倒的に強く、普通の人が指先でちぎるのはそう簡単ではありません。また、水に濡れてもきれいにはじいてしまい、全く性能が変わらないので、雨や汗に濡れても全く問題ありません。この「強さ」が第一の強みなんです。

 そしてもう一つの大きなポイントはその「復元力」です。投票用紙は普通、書いた内容が見えないように半分に折って投票箱に入れますが、開票の際にはそれを一枚一枚開いて確認する必要がありますね。投票会場で試してみました。記入後の投票用紙を両手でしっかりと折ってみます。どんなにしっかり折っても……すぐ開くんです!折ってはまた開き、折ってはまた開き、を何回か繰り返してみて、その驚異的な「復元力」に驚かされました。普通の紙の場合、しっかり折ると紙は折られたまま開ききらずに投票箱の中で重なってしまうこともありますし、中には何度も折って開きにくくして投函する人もいますから、開票時には、それらをまず開いてから平らにのばす手間が増えます。ところが、合成紙のユポは、元の形に戻ろうとする力が強く、どんなにしっかり折り畳んでも、手を離すとふんわりと開いて元に戻ります。これによって、開票作業の効率がグッと向上するんですね。この復元力こそが2つ目の強みです。♥♥♥

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新幹線のお掃除

 「7分間の奇跡」(セブンミニッツミラクル)という言葉をご存知でしょうか?これは我が国の高速鉄道の運行を裏で支える「ある作業」を称えた言葉です。「7分間の奇跡」とは、日本の新幹線の清掃作業を称えた言葉の一つで、その効率的かつ洗練された丁寧な作業は、日本国内はもとより、BBCCNNをはじめとした国際メディアが取材しています。米国ハーバード大学では、モチベーション高く清掃業務に臨む従業員たちの姿から、組織マネージメントを題材とした授業の教材として取り上げるなど、国内外で高く評価され、注目を集めています。

 新幹線の清掃を担う会社の一つ、「JR東日本テクノハートTESSEI」は、新幹線がターミナルに到着した際の折り返し清掃を、わずか7分間で対応します。清掃するJR東日本の新幹線は最大で17両編成、座席数は各編成約1,000席あります。高頻度・定時性を誇る新幹線は、清掃スタッフもその品質を保つ重要な担い手です。時間内に完璧な清掃を施して次の営業運転に備える、彼らの仕事はまさにプロフェッショナルそのものです。JR東海の東京駅東海道新幹線が出入りする3面6線のホームがあります。1日当たり300本以上の新幹線が走行しています。そのため、東京駅では数多くの新幹線が折り返し運転しています。これらの電車が到着後、出発まで約12分という短い時間に車両の清掃・整備を行っています。新幹線の入線時や清掃の終了後は、従業員がホームに並んで一礼すると共に、お客さんへの案内も率先して行うなど、清掃業の枠組みを超えた「おもてなし」の精神が国内外から注目されているのです。

 スタッフの業務は、列車入線時から既に始まっています。列車が到着すると、ホームに美しく整列したスタッフは一礼を以て列車・乗客を迎えます。降車する乗客に対し「ありがとうございました」と声をかけながら、乗客が手に持っているごみなどを手際よく回収していきます。そのホスピタリティは、清掃というより、接客と称した方がふさわしいかもしれません。乗客が降り終わると、彼らの本領発揮です。与えられた時間はわずか7分間。スタッフ1人あたり一両(約100席)を担当し、加えてトイレや洗面台等の清掃もこなします。折り返し運転用に座席の向きを転換しつつ、テーブルや座席の汚れを確認し、一つ一つ拭き取りをしていきます。無駄のない、流れるような動きで清掃をこなしたのち、スタッフはホームに出て一列に並び、乗車を待っていた旅客に対し一礼をして清掃が終了したことを告げます。列車の到着から清掃終了まで、まさに「7分間の奇跡」です。限られた時間の中でも、妥協を許さないスタッフの仕事が、新幹線の定時運行を守りつつ、乗客が安心して利用できる乗り物にしています。彼らは今日も誇りを胸に、新幹線の安全・安定輸送を支えているのです。この度、その清掃作業に「新兵器」が登場しました。

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 今までは座席シートの濡れを検知するには、「濡れを検知するほうき」で1席1席「はく作業」が必要でした。東海道新幹線16両1編成、約1,300席を履く作業が必要でした。

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これまではこのほうきで座席を1,300席チェックしていました。今回東海道新幹線に新しい清掃機器が導入されたのです。

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サーモグラフィを活用した「座席濡れ検知装置」が導入されました。今までは座席の「濡れ」を見つけるために、1席1席「掃いて」清掃を行っていましたが、サーモグラフィカメラの導入で、3―2席をまとめて「濡れ検知」できるようになります。

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スマホとカメラで2―3席をチェックします。

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可視光画像で座席を認識。赤外線画像で座席の温度をチェック。濡れている個所を自動的に検知し、スマホに表示させます。導入費用は5,200万円です。♥♥♥

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「坊ちゃん列車」

 伊予鉄道(松山市)の観光列車「坊っちゃん列車」が運転士不足を理由に、2023年11月1日から当面の間、全便を運休しています。「坊っちゃん列車」は1888年~1954年に走っていた伊予鉄のSLをモチーフに、2001年に半世紀ぶりに復活させたディーゼル機関車です。道後温泉松山市中心部の間を、土曜、日曜、祝日に各8便運行し、観光客らの人気を集めていました。ダイヤ改定では、松山市内を走る路面電車を大幅に減便するほか、市中心部と郊外を結ぶ路線でも土日祝に減便をしています。鉄道の郊外電車郡中線は、土日、祝日の15分ごとの運行を20~30分ごとに改め、ダイヤ改正で1日当たりの運行本数は118便から94便になり、24便減りました。市内電車松山市駅線では、日中から夜にかけての便を、現在の10分ごとから12分ごとに変更。1日当たりの運行本数は178便から154便と24便減。平日のみ運行する本町線では、昼過ぎからの運行を取りやめ、1日当たり14便減となります。路線バスもリムジンバスや松山市内の路線バスなどで減便。鉄道のダイヤ変更に合わせて運行します。

 「坊っちゃん列車」は、伊予鉄道が開業して間もない明治21年から67年間にわたって活躍した蒸気機関車がモデルになっています。明治の文豪、夏目漱石の小説「坊っちゃん」で登場人物が利用したことから、「坊っちゃん列車」として人々に親しまれるようになりました。正岡子規夏目漱石も乗ったという初代「坊っちゃん列車」は、たくさんの人を乗せて昭和半ばまで地域の経済・産業・文化の向上に貢献しました。もくもくと煙をあげて走る蒸気機関車は、電車の進出に伴い姿を消しました。その後、走行場所や技術面で多くの問題があり見送られてきた「坊っちゃん列車」の復元。しかし、復活を願う地元の人たちの熱い声を受けて、また、地域活性化の大きな起爆剤として数々の問題をクリアし、2001年10月、ついに「坊っちゃん列車」が21世紀の城下町に蘇ったのです!「坊っちゃん列車」の煙突から出ている白い煙はみんなに害がない原料を使った特別な蒸気です。黒い煙の蒸気機関車は石炭で動きますが、「坊っちゃん列車」は低硫黄軽油っていう燃料で動くディーゼルエンジンですから地球にもやさしくて安心安全です。

 伊予鉄グループは、運転士の休日を増やすなど、グループ全体で従業員の休日を増やす取り組みを発表しています。今回のダイヤ改正について、伊予鉄グループ広報室は「人員が足りていない状況もあるが、影響を最小限に抑えるダイヤ改正とした。従業員の労働環境を整えるためにも新規の採用を強化していく」と話しています。

 伊予鉄は、「坊っちゃん列車」をはじめとした運休の背景について、「深刻な運転士不足がある」と説明しています。2024年4月から、運転士の時間外労働や休息時間の基準が改正されて、働ける時間が今よりも短くなることも、運転士不足に拍車をかけることになりそうです(物流2024年問題)。私の住む島根県松江市でも、運転手不足から市内のバス路線が大幅減便となったり、路線廃止となったりしています。観光客に重宝する「松江市定期観光バス レイクライン」も減便して運行されています。「坊っちゃん列車」は当面の間は走らないことになりますが、道後温泉駅には展示されています。色々なものがある駅前広場の中でも、特に写真映えするのが「坊ちゃん列車と駅舎」の風景です。

道後温泉駅前広場で「坊ちゃん列車」「駅舎」と一緒に自転車を写した写真

 レトロな外観の駅舎と一緒に写真に収めれば、まるでタイムスリップしたような雰囲気に浸ることができます。先日、電車の停留所で職員の方に聞いた話では、来る3月20日からは「坊ちゃん列車」の運行が再開されるそうですよ。♥♥♥

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次年度の「共通テスト」を占うもの

 いつも私が講演会で強調していることですが、次年度の「共通テスト」の問題を予想できるヒントが2つほどあります。「追試」問題「評価・分析委員会報告書」の2つです。現場教員はこの2つには絶対に目を通しておく必要があります。追試」新傾向問題を出題する際に、前年の追試でリハーサルをしているという今までの実態があります。また報告書」(大学入試センターのHPに公開)を丁寧に読むと、次年度のテストの内容を考える上での指標になり、実に面白いです。実際にちょっと見てみましょうか。

▲2月10日の私の講演会資料より

 昨年度の「問題評価・分析委員会報告書」の中の「問題作成部会」のものを読んでみましょう。よく読むとここに挙げた様に、今年の問題の各所に反映していることが読み取れます。「事実」と「意見」の出題。推論を要する問題。物語文の出題などは自画自賛していましたから間違いなく今年も出るものと予想していました。情報の読み取りに留まることなく、その先にある書き手の意図を深く捉えたり、自分なりの意見や主張を相手に適切に伝えたりする力も評価する、とあるように、書かれている情報からその先にあることを推測するという、今年の特徴的な出題傾向をちゃんと示していたことがわかります。第5問の心温まる英文の出題もちゃんと書いてあります。分量の増加も、後半の記述からも読み取ることができますね。リスニングに関しても、やはりここに記述された通りの出題が見られました。一昨年は同意見の人物の人数を問う問題でしたが、昨年は名前の組み合わせを答える形式に変わっていました。そのことを評価する記述が見られましたから、今年もその方向で出題されると思っていましたが、まさにその通りでした。

 このように「問題評価・分析委員会報告書」は次年度の出題を占うヒントが満載なのです。6月に公表される「報告書」が今から楽しみですね。♥♥♥

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松下電器のDNA

 私の自宅の家電製品は全てがパナソニック製です。創業主・松下幸之助をこよなく尊敬する私は、ナショナル時代から同社の製品をずーっと愛してきました。かつて「松下電器産業」「パナソニック」と社名を改めました。これに従って、系列会社の「松下電工」「パナソニック電工」と名前を変え、私の大好きな「ナショナル」というブランドが完全に消えてしまったのです。人気テレビ番組だった月曜・夜8時からの「水戸黄門」の時のCM「あかるーいナショナル、あかるーいナショナル」というコマーシャルソングももう耳にすることはありません。世界からナショナルが完全に消えてしまいましたが、パナソニックの中で唯一「ナショナル」が消えないところがありました。

 2005年の1月に、福島県のペンションで、ナショナルFF式石油暖房機を使用していたところ、一酸化炭素中毒で小学生の子供が死亡しました。外気を吸い込むゴムホースが経年劣化で亀裂を生じ、不完全燃焼を起こしたために起こった事故でした。この時、公にリコールを発表せず、内々に処理をしようとしている間に、11月に二人目の死亡者が出ました。マスコミは松下の対応のまずさを一斉に叩いたのです。釈明会見を開いた松下電器の副社長はマスコミのあまりの怒号に、ただただ謝罪するしかありませんでした。松下の企業イメージは一気に急降下、経済産業省からも、対象製品のリコールや危険性の周知を徹底するよう、消費者生活用製品安全法による緊急命令を受けました。松下電器は社内に「FF式緊急市場対策本部」を設置。当時の中村邦夫社長が自ら本部長となり陣頭指揮を執って、対象25機種15万2000台を、最後の一台まで見つける覚悟で対象商品の回収修理、買い取りを最優先事項に松下電器は動きました。1台5万円で暖房機を買い取るキャンペーンなども行われました。テレビで石油式暖房機の改修修理のコマーシャルをひっきりなしに流したり、松下電器の社員、子会社の社員に、地域のパナショップのオーナーに至るまで、石油式暖房機の回収修理について書かれたビラを各家庭に配りました。さらに宛名を特定しなくても配達してもらえるサービスを使って、全世帯6000万カ所に回収修理を訴えるダイレクトメールを配布しました。日本中全国全ての人に石油暖房機の事故と自社製品の危険性を知らしめるために行われた、日本史上最大の告知行為だったと思います。自主的にビラを配っていた社員も多くいたそうです。それだけ危機意識が松下内部にあったからでしょう。当時、松下にいた人に聞いてみると「もう会社が潰れるかと思った。」と。松下は経営危機に陥り、赤字に転落しました。中村邦夫社長「創造と破壊」をスローガンとした経営改革でV字成長をしました。これからは業績が伸びる一方、と思ったところでのこの事故でした。松下の社員の危機意識は相当高かったはずです。最初は松下を叩き続けていた世間ですが、松下のこれでもかこれでもかという告知行為のために、松下電器は12月からクリスマス商戦を返上しました。全ての商品コマーシャルを止めて、石油暖房機の事故による警告CMに切り替えます。いろんな大きさや種類の告知広告が郵便受けに入り、ダイレクトメールが郵便受けに入るうちに、世間の反応が変わっていきました。1年も経つと最初は「松下の製品は絶対に買わない」と言っていた人も、松下がずっと告知広告を続けているうちに「これだけやっても出てこないなら、もう無いぞ。」とか「これで知らないやつなんて誰もおらんぞ。」と言うようになりました。最初は松下のイメージを悪くするだけの告知CMが、気がつけば、松下電器が「お客さま第一」であることを一番知らしめるCMになりつつあったのです。ホームページでも一面全てが「いま一度、心からのお願いです」と、ファンヒーターの回収の呼びかけの告知記事でした。

 クレームが起きたときの大原則は、即座に対応することです(先般の「ビッグモーター」はこの点で失格です)。会社のトップが「指揮官先頭」の気持ちで矢面に立ち、全社を挙げて誠心誠意で対応することです。そんな時、パロマの事故が起きます。パロマの給湯器が不完全燃焼を起こして、一酸化炭素中毒を起こしたのです。1985年から2005年にかけて一酸化炭素中毒事故が相次いで起きました。事故件数27件、うち死者が20人という大事件に発展します。それも、記者会見をする度にころころ発表内容が変わる、といったお粗末な内容や遅い対応で、世間は一斉にパロマを叩きました。後に1992年には社長に報告が入っていたことが判明します。つまり同社は1992年から2005年まで少なくとも13年間は問題を放置していたことになります。告知を行った後も、最初の頃は、全てはサービス業者による不正改造のせいだと主張し続け、「自社製品には一切問題がない」という姿勢を崩しませんでした。これが火に油を注ぐ結果になったことは言うまでもありません。「お客さまのため」よりも「会社のため」「自分たちのため」を優先した内部志向が大きな要因でしょう。「松下があれだけやっているのにパロマは何をやっているんだ。」この間、実は松下の売り上げは落ちていません。一時は落ちたようですが、松下の徹底した対策に世間が好感を抱いたようです。危機を転機に変えたのです。「パナソニック株式会社」と名前を変えた今も、パナソニックは本気で最後の1台まで探し出す気です。この部署がある限り、パナソニックから「ナショナル」の文字が消えることは無いが、それがパナソニックがお客様第一の企業であり続ける証拠であるとも言えるのでしょう。「産業報国」「お客さまのため」という同社のビジョンが社員一人一人に浸透している証拠です。

 この「松下電器のDNA」ともいうべき精神は、未だに生きながらえているということを私は身をもって実感しています。今私の乗っているパナソニック電動自転車は現在で5台目なんですが、数年前から電動自転車のバッテリーに不具合があるらしく、該当番号のバッテリーを持っている方はご連絡くださいという封書を、何度も何度も受け取っています。私のバッテリーはその番号に該当しなかったので、放っておいたんですが、それでも引き続き数回ダイレクトメールが届きました。そのままにしておいたんですが、先日は自宅にまで電話がかかってきました。事情を説明された後、「私の電動自転車はどれにも該当しません」ということを申し上げたら、念のために住所・氏名をお聞かせいただきたい、記録に残しますのでとのことでした。ここまでして、最後の一台まで追跡をされることに感銘を受けました。恐ろしや、「松下電器のDNA」♥♥♥

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久しぶりのDac n Dac

◎週末はグルメ情報!!今週はフレンチ

 久しぶりに米子の「Dac ‘n Dac」(ダックンダック)へ行ってきました。米子のデパート・天満屋の道路を挟んで前にある紅白のテントとテラス席のテーブルが目に入る、ヨーロッパ風の小さなカフェ風レストランです。オープンしたての頃に、親しくさせていただいていた故・福田理壽先生に連れてきていただいてから、気に入ってずっと通っているアットホームなフレンチ洋食屋さんです。ご主人と奥様二人三脚でやっておられます。入院やらなんやらでお邪魔する機会がなかなかなかったのですが、米子で最後の授業を終え、久しぶりに訪問してきました。米子の卒業生2人とランチして以来の食事でした。

 このお店でまず驚くのは、最初に出てくる前菜の手の込んでいることと品目の多さ、本当に見た目が綺麗美味しいことです。そのひとつひとつに丁寧な手間がかけられており、彩りも最高にキレイでヘルシー。仕込みに相当の時間がかかっているんでしょう ね。野菜をたっぷり使い、品目の多さが自慢の前菜が女性の心をつかみ、女性客がほとんどというヘルシーな人気店でもあります。お値段もリーズナブルなので、いつもお昼時はお客さんでごった返すお店なんですが、今日は珍しくお客さんが2組しかおられず、貸し切り状態で美味しくフランス料理のコース(3,000円)をいただきました。息もピッタリのオーナー夫婦が経営しておられます。女性客で溢れ、会話を楽しみ、料理を楽しむ時間をそれぞれが楽しんでいるといった感じです。品目の多さと、手の込んだ細工で評判の前菜からいただきます(写真下)。本当にきれいな盛り付けと、野菜中心のヘルシーな料理は、いつ来ても美味しくいただけます。開店から13年を迎える名店です。また来たいと思います。♥♥♥

▲この前菜がいつ来てもステキ!

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赤尾好夫の「勉強十戒」

 今日は、旺文社の創業者・赤尾好夫(あかよしお、1907-1985)さんが、高校生・大学受験生のために自ら創造し贈った「勉強十戒」をご紹介します。次代を担う若人に向けて作られてから、半世紀以上が経ちますが、社会が変化した今日でも、決して色あせることのない名言だと思います。将来の夢の実現をめざし頑張る生徒たちに、教室でもぜひ紹介したい言葉ですね。今でも旺文社の印刷物などに掲載されています。

 赤尾さんは、旺文社を設立されただけでなく、文化放送テレビ朝日、放送大学、実用英語技能検定の設立にも貢献された偉大な出版人・放送人です。また、射撃では全日本選手権で優勝、世界選手権でも銀メダルを獲得するほどの腕前でした。私の高校時代は、赤尾さんの『英語基本単語集』、通称「赤尾の豆単」で勉強したものです。その赤尾さんの残した名言です。それでは「勉強十戒」です。受験生は肝に銘じたい言葉です。♥♥♥

       勉強十戒        赤尾好夫 作

一、学習の計画を立てよう  計画のないところに成功はない
二、精神を集中しよう  集中の度合が理解の度合である
三、ムダをはぶこう  戦略の第一は時間の配分にある
四、勉強法を工夫しよう  工夫なき勉強に能率の向上はない
五、自己のペースを守ろう  他をみればスピードはおちる
六、断じて途中でやめるな  中断はゼロである
七、成功者の言に耳をかたむけよ  暗夜を照らす灯だ
八、現状に対し臆病になるな  逃避は敗北だ
九、失敗を謙虚に反省しよう  向上のクッションがそこにある
十、大胆にして細心であれ  小心と粗放に勝利はない
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「朗働」と「牢働」

 私は講演会でよく「牢働」「労働」「朗働」(ロウドウ)の話をすることがあります。

▲私の「オンライン講演会」のスライドより

 仕事には、大きく分けて「牢働」「労働」「朗働」(ロウドウ)の三つがあるといいます(労働三態)。「牢働」とは、牢獄の中で手足を鎖でつながれ、ムチで容赦なく叩かれながら嫌々酷使されることです。3K的な苦役(キツイ・キタナイ・キケン)で、働く喜びよりも苦しみの方が強い仕事で、辛くて苦しいばかりの毎日です。英語でいうdrudgeryで、身体と時間を縛られて牢屋の中で動いている動物のイメージですね。これに対して「労働」は、苦役と言うほどでひどくはないけれども、やっていて楽しいとか、ワクワクするわけでもありません。肉体的にはきつくても、精神的にはほどほどにやり甲斐のある仕事です。普通の「労働」(labor)ですね。この二つの他に、「朗働」という働き方があります。仕事に楽しさや面白さや遊びを実感して、朗らかな気持ちで毎日仕事に励んでいるのです。そこには「ワクワク感」が存在していますね。「労働」「楽しさ」「満足感」が加わったものです。さて、みなさんの仕事はどれに相当しますか?地獄のような「牢働」ですか。それとも毎日が楽しくて楽しくてしょうがない「朗働」ですか?何の変哲もない淡々とした「労働」でしょうか?

 エジプトの話です。三人の人夫が重い石を運んでいました。かなりの重労働です。そこに一人の旅人が通りかかり、一人目の人夫に尋ねました。「何をやってるの?」人夫は答えました。「ごらんの通り石を運んでいるんだ」(牢働)二人目の人夫に尋ねました。「何をやってるの?」「あそこをごらん。何か建物がつくりかけてあるだろ。あのための石さ」(労働)三人目の人夫に尋ねました。「何をやっているの?」三人目の人夫は額の汗をぬぐいながら答えました。「自分はいまエジプトの文明を築く仕事をしている最中です」(朗働)三人目の人夫には明らかにビジョンがあり、理念があり、使命感に燃えていました。この三人のうちで誰が一番良い仕事をするでしょうか?「牢働」「労働」「朗働」の分かりやすい例として挙げてみました。

 そもそも、人はどんなときに仕事が楽しいと喜びを感じるのでしょうか?それは、仕事を通じて自分を磨き、高められるという期待・実感が抱けるとき。会社が成長し、それに呼応して自分の給料も上がっていく。自分のやったことで、周りの人も喜んでくれ、知名度も上がり、家族も喜びを感じる。人生の目標が自分自身にはっきりと見え、仕事を通じて、誇りや、感謝の気持ちが芽生えた時。こうした物心両面の「得」があって初めて、その社員にとって毎日の仕事が「朗働」となります。リーダーは、社員にこうした「朗働」の場と機会を提供することこそが、仕事となります。では、「牢働」「労働」を「朗働」に変えるためには何が必要でしょうか?次のような条件が満たされないと、うまくいかないでしょうね(下線は八幡)。

①職場を好きになる。 ②上司や同僚や部下に好意を持つ ③仕事の価値を認める ④仕事に改善と変化を求める ⑤人から感謝される ⑥何よりも自分が健康である

 教員にしてみれば、一生懸命に教えているのですが、生徒から感謝されることなどまったく期待してはいません。それが強い興味と関心を示してくれ、「もっとお話をお聞きしたい」などと言われれば、これほど教師冥利に尽きることはありません。そこから、人生をより豊かにする「よい人間関係」が生まれます。私が指導した生徒たちから、こんな言葉をいただきました。ありがたいことです。私にとって英語教師の仕事は間違いなく「朗働」でしたね。♥♥♥

▲ABCの話や、素朴なことを疑問に思う大切さなどを教えていただき一層英語への意欲が湧きました。

▲単語の記憶法がとても参考になりました。これからもこの記憶法を続けていきたいです。

▲どのように考えるか、ということをしっかり追える授業で分かりやすいです。授業を受ける度に気持ちが引き締まります。

▲八幡先生の授業を受けて、英語を根本から理解しようと予習形式を変えました。今までは、ただ流していた英文もきちんと意味を考えたり疑問に思ったりときちんと学習していきたいです。

▲なんでそうなるのかっていう深いところまで教えて下さってすごく分かりやすいです。他の人とは違って英語の本質を話して下さって目からウロコです。

▲英語を丸覚えではなくて、理由を考えるようになったと感じています。

▲一年間、英語をご指導いただきありがとうございました。八幡先生の授業では、私が完璧に予習できたと思っていても、知らないことをたくさん教えていただけて、本当に楽しかったです!

▲昨年一年間は志学館でのご指導ご鞭撻の程本当にありがとうございました。浪人の一年間八幡先生のご指導のおかげで、英語力だけではなくこれからの人生を通して自分の力となってくれる精神力が身につきました。本当にありがとうございました。共通テスト、二次試験ともに八幡先生の「英語は絶対裏切らない」という言葉を身に染みて痛感しました。大学に入学しても先生の授業で学んだことを忘れず精進して行きます。本当に一年間ありがとうございました。

▲まず、この一年英語を教えてくださり、そして添削指導をしてくださり、ありがとうございました。進路や人生の話、これまで知らなかった英語の知識が詰まった先生の授業は、冗談抜きで1秒も聞き漏らしたくないくらい面白くて刺激的でした。

授業で取り組んだ問題集をめくると、どのページも書き込みで真っ黒で、「ああ…私の補習科の一年の勉強の跡はここにあるんだなあ」と感じます。

二次試験1ヶ月前に先生のところに添削ノートを持って行った時、先生のハードな生活を聞き、過去問を10年分やる決意が固まりました。このように私のずっと前にいる先生の姿を見て、自分も近づきたい、まだまだ出来る、と鼓舞した一年でした。

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ニデック

 「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」をモットーとして発展してきたモーター大手、日本電産永守重信(ながもりしげのぶ)会長が、創立50周年を迎えた2023年4月1日、会社名を、ブランド名や海外子会社に使っている「Nidec(ニデック)」に変更しました。将来、一般消費者向けの商品を販売する場合には、ブランド名を浸透させた方がよいからだと言います。1973年の創業以来、日本を代表する世界的な企業になるという目標を掲げ、「日本電産株式会社」の社名を使用してきましたが、今後は原則としてグループ統一の「ニデック」を冠したものに変更し、グローバルグループ一体経営を更に進化させていきます。ちょうどかつて「松下電器」「パナソニック」に社名変更したのと同じ理由なのでしょうね。シンボルマークを創設、ロゴマークを変更しました(上記参照)。このシンボルマークは、“目”のイメージを残しつつ、それを包み込む流麗なNをイメージしたラインで、右上がりの成長曲線も表現しています。目と同様に地球をも優しく包み込む、グローバル企業を目指す想いが込められています。永守さんは、米国留学中に多くの会社を見て回り、それらが大都市になくとも、立派に事業を行っていることに感銘を受けました。創業時の社員はわずか7名でしたが、「蒲郡から世界と伍して戦う製品を創り出したい」という強い信念がありました。鮮やかな青色は、ニデックが進むべき世界市場(大海)を表現しています。「蒲郡から広い海へ懸命に漕ぎ出していく」創業時の意気込みの表れでもあります。

 そして、同社の知名度を上げるべく、人気女優の川口春菜(28歳)さんを起用した「ニデック(株)」のCMがガンガン放映されましたが、視聴者やファンからはこれがなんとも不評でした。CMでは川口さんがダウンタウンブギブギバンドの往年の名曲「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」のメロディーに合わせて「あんた、ニデックってなんなのさ?」という決め台詞、「ニデック、ニデック、名前覚えてねー」と歌う単純なものでしたが、替え歌で企業名を連呼するというのが安直すぎたか、これまで川口さんが演じたCMキャラクターとは異なる濃いめのメークへの拒絶反応からか、ツイッターでは《NidecのCM、川口春奈はいいけれど、それ以外残念すぎる。最近最もひどいと思ってたCM》《川口春奈が出てるNidecのCM、時代錯誤というか、ダサすぎて見ていて辛い》といった声が続々と寄せられました。そもそもこのCMがかつての大ヒット曲のパクリであることを若い人たちは知らないでしょう。他にも、《川口春奈さんはもっとCMの仕事選んだほうがいいと思うんだよなぁ》と、安易にCMに出演し過ぎではないかとする声すら聞かれました。日本電産永守重信会長のファンである私自身は、最初驚くとともに、他のCMとは差別化されていて、面白いなあと思ったんです。

 「BRAND OF THE YEAR 2023」は、2022年11月から2023年10月までの期間に放送された全CMを対象に、CM好感度の高かったブランドを発表するものです。また、優れたCM展開で業績の向上に貢献したブランドに “消費者を動かした CM展開”が贈られます。女優の川口春奈さんを起用した新社名や当社製品の活躍分野を告知するテレビCM「ニデックってなんなのさ?」を、1.名前覚えてね篇、2.回すもの作る篇、3.日常の裏で篇 の3篇にわたって展開してきました。この放送された CM が企業認知度の向上に貢献したことが評価され、“消費者を動かした CM 展開”を初めて受賞したのです。

 今後も「One Nidec」のもと、グループ全社の総力を結集し、2030年の売上高 10兆円の達成、そして 100年後も社会から必要とされる企業であり続けるため、 “回るもの、動くもの” で地球社会に貢献していきたいと述べています。

 前回 CMの特徴である、「Nidec」のロゴが描かれたつなぎ姿はそのままに、今回の新しいCMでは日常生活の中で活躍するニデックグループの製品が多数登場します。休日にテレビゲームを楽しむ川口さんが、家の中を大暴れする猫を追いかける事態に。川口さんのお部屋やキッチンにある家電製品を通じて、日常の裏で活躍しているニデックグループ製品の一部をご紹介しています。猫に翻弄される川口さんの表情や必死に追いかける動きにもご注目ください。

 後継者選びで難航(過去2回社外から社長を招くものの退社)して、「永守リスク」と呼ばれていたニデックの後継者問題が、最近決着しました。創業者・永守重信会長兼最高経営責任者(CEO)は、代表権のある取締役グローバルグループ代表に就き、一線を退きます。最長で4年間は代表権を維持し、M&A(合併&買収)などを手掛けるとのことです。♥♥♥

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岩谷直治さん

▲入って左側が「岩谷会館」

 私が以前4年間勤務した、島根県立大田高等学校の校門を入ったところに、校舎に隣接して「岩谷会館」という卒業生会館があります。これはマルヰガス」を創業した同校卒業生の岩谷直治(いわたになおじ)さんの寄贈による2階建ての建物です。当時、職員会議・部活動の合宿などに利用していましたが、森山祐司(もりやまゆうじ)校長の英断で、生徒の自習室に改装されました。「疲れない椅子」を入れて、生徒たちの学習の便を図りました。これは、飛躍的に進学成績が伸びた要因の一つでした。

大田農業学校(現島根県立大田高等学校)卒業。

神戸の運送会社で勤務した後、ガスの製造・販売を行う「岩谷直治商店」を
昭和5年(1930)に創業。
昭和20年(1945)年に株式会社岩谷産業に改組、以後40年間に渡り
社長を務めた。
昭和28年(1953)、50歳の時に家庭用プロパンガスの全国販売をわ
が国で初めて開始。
昭和44年(1969)にはガスホースを使わないカセットボンベ式卓上型
ガスコンロを日本初の市販化。
半生をかけてガス器具や供給機器、安全器具の開発・普及にも心血を注ぎ、
「プロパンガスの父」と称される。
昭和55年(1980)8月には大阪府堺市にLPG輸入基地を完成させ、
翌年2月からサウジアラビアからのLPガスの直輸入を開始し、輸入から
国内販売までの垂直統合を完成。
今日、イワタニ・マルヰガスグループを290万のLPガス需要家を有す
る日本最強のLPガス集団に育て上げた。生活全般から素材関連まで事業
欲は幅広く、岩谷を生活総合産業企業へと一代で築き上げた。また、次世
代燃料としての水素に注目し国内初の液体水素製造装置を造るなど先見性
もあった。

 「マルヰプロパン」岩谷産業の創業者・岩谷直治さんが、昭和28年にわが国で初めて家庭用LPガスの販売をした会社です。まだ薪や炭でご飯を炊いていた時代で、当時は「マルヰプロパン??どんなパンですか?」と聞く人がいたくらいです。岩谷さんは若い頃は大八車に溶接棒を積んで売り歩いています。岩谷さんが出張中には、奥さんが乳母車に溶接棒を積んでお得意様のところに届けていたといいます。顧客志向、信用第一という商魂に支えられて岩谷さんの事業は順調に伸びていきました。

 この岩谷さんの哲学は、「大田農業学校」(現大田高校)時代、東京から来た若い担任の先生の教えに基づいています。新進気鋭の大橋清蔵先生は、当時最先端のダーウィンの進化論「適者生存」の話をしました。岩谷さんはこれに強い感銘を受け、丁稚奉公に出て日夜の仕事に励みながら思ったことは、「世の中に必要なものは栄える」ということでした。世の中が求めているもの、欲しているもの、必要と感じているものに全力で応えようとすれば、きっと世の中は喜びを持って受け入れてくれるはずだ、というものです。今でもこれは岩谷産業の企業理念・コンセプト「世の中に必要な人間となれ、世の中に必要なものこそ栄える」となって引き継がれています。創業者・岩谷直治さんの事業哲学を表現したもので、ダーウィンの「進化論」をヒントに、人も企業も狩猟型よりも息の長い農耕型の努力が必要だという思いが込められており、「世の中に必要とされるもの」が互いに扶け合うことに価値の基準を置き、社会や生活者の満足・顧客の満足を追い続けようというものです。昭和28年春、岩谷産業はLPガスの販売に踏み切りました。わが国では初めてのことだけに大冒険でした。家庭の奥様たちにとっては、「台所革命」です。一家の家庭団らんの笑顔が浮かんできますね。「世の中に必要なものは栄える」です。今でいう顧客志向にテッした商売と、命に代えても信用第一という商魂に支えられて、岩谷の事業は伸びていきました。

 大田高校に勤めていた当時は、岩谷さんの名前くらいは知っていましたが、氏の人となり・哲学のことは詳しく知りませんでした。清水榮一『中村天風 運命を拓く65の言葉』(KKロングセラーズ、2016年4月)を読んでいたら出てきて、メモしたものです。今回は岩谷直治さんの人生を振り返ってみたいと思います。

 岩谷直治さんは、1903年、島根県安濃郡長久村(現・大田市)に父・邦吉郎と母・ミサの五男として誕生しました。父・邦吉郎は、豪農の総支配人を務め、信州へ出かけ養蚕・製糸を学び、横浜へ生糸の販売に出向くなど、知見が豊かで厳格な教育熱心な親でした。直治さんは、父から「謙虚であれ、その姿勢を持ち続けることが大切だ」「どんな人でもおまえより何かいいものを持っている。死ぬまで他人に教えてもらうのだ」と、事あるごとに言われて育ちました。母・ミサは、ふた回りも年が離れ、三男二女がいる邦吉郎に嫁ぎ、二男三女に恵まれ、夫と10人の子供の面倒を見ながら家事一切を一人でこなす努力の人でした。ある日、直治さんは従弟から「選挙権がない貧乏人」とバカにされ大げんかをしましたが、母から「人をさげすむことは恥ずかしいこと。相手の立場に立って考えることが正しいことですよ」と諭されました。後年、直治さんは「子どものころは分からなかったが、成長とともに両親の教えが分かり、自分の生きざまから会社の経営にまで影響を及ぼした」と語っています。

 直治さんは成績優秀でしたが、父が病に伏し家計が苦しくなったために、自宅から徒歩で通える安濃郡立農業学校(島根県立大田高等学校)へ入学しました。辞書も買えず修学旅行も不参加だった直治さんの事情を把握していた大橋先生から「農学校というのは、自然と農業でもって人間を作る学校である。必ずしも農業をやらなくてもよい。世の中に出て、その人の得意の方向に向かって努力すれば必ず成功する。胸を張って一生懸命おやりなさい」と励まされました。大橋先生の教えを受けた直治さんは、進化論の適者を「世の中に必要なもの」に置き換えて、「世の中に必要な企業は生き残れる」と常に言い続け、そこから編み出した企業理念「世の中に必要な人間となれ 世の中に必要なものこそ栄える」は現在でも会社活動の礎として受け継がれています。

 農学校を卒業した15歳の直治さんは、商人を目指して神戸の楫野海陸運送店へ奉公に出ましたが、奉公の初日、夜行列車の長旅の疲れもあって寝過ごしてしまいました。周りの無言のムチが身にこたえた直治さんは翌日から5時前に起床し、皆が起き出す前に掃除を終えるように努めました。5時前起床は終生変わらず、これは“同じ失敗を二度と繰り返さない”と肝に銘じたもので、会社を起こしてからは同じ失敗をした社員に厳しく戒める姿もありました。当初、直治さんは夜学に通っていましたが、授業中に仕事の疲れから襲ってくる眠気に勝てず通学を諦めました。そんな直治さんに、主人は「これをやると神戸高商を出たのと同じ実力がつく」と、通常の仕事以外に経済日誌を付けるという日課を与えました。それは、為替・株式・生糸・毛糸・綿糸・金・銀・銅など、日本をはじめ世界の相場を書き留めるものでした。それは数字一文字の誤記でも叱られるので睡魔との戦いでもありました。しかし、毎晩コツコツと一人きりで経済日誌を付けたおかげで商品や為替の動きを体得できたことは、その後の会社経営に大いに役立ちました。直治さんは、奉公先での失敗や体験からも“人のやらないことをやる”ことを学びとりました。

 1952年、講演で「イタリアではプロパンガスをボンベに詰めて家庭用の燃料として使用している」ということを知った直治さんは、かまどの煮炊きに苦労している母を思い浮かべました。「主婦をススや煙から解放したい。これこそ自分がやりたかった事業である」という信念で、「金がないのなら酸素ボンベも何もかも売り払って資金を作れ」と檄を飛ばし、50歳にして不退転の決意でプロパンガス事業を始めました。当初は、プロパンガスの便利さを浸透させるためにキャラバン隊を組んで全国を行脚するなど苦労の連続でした。直治さんは「やり出したからにはガスを切らさない、安全にお届けする」という基本方針のもと、ローリー、タンク貨車、コースタルタンカーを導入し、全国規模の輸送網を整備していきました。そして夢であった輸入権の許可を通産省(現 経済産業省)に申し出たところ、輸入基地と専用タンカーを持つことや安定したソースの確保などの条件を示されました。「無謀だ」「資金の目途が立たない」と反対の声が多くありましたが、「この計画を実現させなければイワタニの明日はない」と、これらの条件を10年以上の歳月をかけてクリアし、他社に先駆けて輸入から消費先までの一貫供給体制を構築しました。直治さんはプロパンガスの普及に邁進し、奥様たちの、続いて子どもたちの一家団欒の笑顔を実現することにより、台所の燃料革命を起こした功績から “プロパンの父”と呼ばれるようになりました。イワタニは、MaruiGasのブランドで全国320万のご家庭にお届けしています。今もトップシェアを占めています。

 岩谷直治さんは、生まれ育った島根県大田市を思う気持ちは人一倍でした。例えば、1956年から母校の長久小学校に本を毎年寄付し、これは「岩谷文庫」と名付けられました。1966年には島根県に財団法人岩谷育英会を設立し、1973年には母校の島根県立大田高等学校(卒業時は大田農学校)に図書館を寄付するなど、直治さんの故郷を強く思う気持ちを表しています。1973年、直治さんは古希を迎えたのを機に「社会に役立つことをやろう」と思い立ちました。持っていた自社株と現金合わせて約30億円を投じて、財団法人岩谷直治記念財団を設立。科学技術研究と国際留学生への助成を通じて、人と社会に寄与しています。直治さんは、父から「金は諸刃の剣だ。使い方を間違うと自分が傷つく」と教えられました。この教えは、会社を興してから口癖となった「儲け過ぎてはいけない」に反映され、世の中へお返しするという気持ちを終生強く持ち続けました。

 2005年、取締役名誉会長・岩谷直治さんは満102歳で亡くなりました。生涯現役を全うした秘訣は「克己心(おのれにかつ)」に伺えます。直治さんは健康に人一倍気を遣い、若い頃から酒・たばこの誘惑に負けませんでした。そして、22時就寝、毎朝5時前起床、起床後30分は自己流の体操、般若心経を唱えるなどを日課にしていました。これを終生続けることは並大抵のことでなく、まさしく己に勝ったといえます。その上に好奇心が旺盛で、父から教えられた「死ぬまで他人に教えを乞え」を一つの生き方として貫き、素直に学び続けたところに岩谷直治らしさが表れています。対談された評論家の草柳大蔵氏は、「岩谷直治さんは、学校歴は浅いが、学歴は長い。学歴は学びの歴史であって、『何を学んだか』が重要です。人間は、親教・師教・世教を受けて育ち、仕事をし、家庭を作っている。その過程で人格的に非凡と平凡に大別されるのだが、岩谷直治さんは面白いことに非凡でも平凡でもないのである。凡の尺度を超えた『否凡』の人である」と評されました。直治さん自らも、87歳で受けた「私の履歴書」(日本経済新聞社)の取材にて、「実社会が学校であり、仕事を通じて出会った人すべてが先生であり、若い頃から見てきた産業、企業の盛衰が教科書だった。早く実社会に放り出された分だけ、人より長く学ぶことが出来たのかもしれない」と、人生を振り返っていました。1985年に勲二等瑞宝章を授与されました。♥♥♥

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大橋純子さんのご冥福をお祈りします

 2023年3月末の定期検査で食道がんの再発が発覚し、活動を再度休止していた大橋純子(おおはしじゅんこ)さんが、闘病5年、昨年の11月9日にお亡くなりになりました。享年73歳でした。北海道夕張市出身、1974年デビュー。1977年、「大橋純子&美乃家セントラル・ステイション」として出した「シンプル・ラブ」で、あの小柄な体格から絞り出される歌のうまさ、声の良さ、どちらも一級品で、頭角を現しました。その後、歌謡曲調の「たそがれマイ・ラブ」がヒット。同じく「シルエット・ロマンス」は、1981年の発売からロングヒットを記録して、翌年のレコード大賞で「最優秀歌唱賞」を受賞しました。歌うことに貪欲だった大橋さんは、70歳を越えても新たな音楽との出会いと進化を求めて、世代やジャンルを越えた舞台を楽しんでおられました。休養を経て復帰された時には、若い頃のヒット曲を一切歌わず、新しいジャンルに挑戦し続けておられたましたが、ポール・マッカートニーのコンサートに行った時に、大ヒット曲「イエスタディ」をギター一本で歌う姿を見て、「あー、ファンの人はこれを求めているんだなあ」と気がついて、自分の今までの思い上がりを改める決心をした、と語っておられました。あねご肌の性格もあり、決しておごることなく私たちに背中(歌う様)を見せてくれました」と、所属事務所。人の背中を押してくれる歌の力を信じて力一杯に歌い続けた73歳でした。

 2018年に食道がんを公表。今年3月にも再発したことを明らかにし、療養しておられました。「夏女ソニア」でデュエットしたもんたよしのりさんも、10月にお亡くなりになったばかりです。もんたよしのりさんの訃報が伝えられた際は、所属事務所を通じて、「もんたさんの突然の悲報に接し、現実のこととは思えず、ただただ茫然としております。私が療養することになったり、 自粛期間があったりで、タイミングが合わなくてご一緒することがかなわず、とても悲しくてなりません。どうかゆっくりお休みください…」とコメントしたばかりでした。来年のデビュー40周年の節目を前に、昭和の歌姫が旅立ちました。私は彼女の歌いぶりが大好きでした。あの小さな体から、あれだけの声量はやはりすごいと言わねばなりません。

 出身は夕張市。2007年3月に夕張市が財政破綻し、財政再建団体に指定されると、「私にできることは歌うこと」と、チャリティ・カバーアルバムに挑戦しました。昨年4月には、夕張鉄道の路線バス「夕鉄バス」で流れる車内案内を無償で担当したこともありました。バス停の案内だけでなく、「実家の食堂があったものこの近くです」「ここがメロンの本拠地です」など、現在もユーモアあふれる内容で乗客を楽しませています。大橋さんの声を聞きながら、観光地を巡ってみたいですね。大橋さんのパワフルな歌唱力を支えた原点の町でした。

 このところ谷村新司さん、もんたよしのりさん、大橋純子さんと、歌の上手い歌い手が次々とお亡くなりになっていきます。歌謡界に大きな損失であると同時に、年代が近くこの人たちの歌を聴いて育ってきた私には身につまされます。♠♠♠

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